勤めている職場の卒園式。
1年間共に過ごしたクラスの子たちが新たな門出に向けて羽ばたいていきました。
私の勤務する職場は、
発達障害の子どもたちが通う発達支援の療育現場です。
過度の偏食がある子、他害を繰り返してしまう子、言葉が話せない子、多動すぎて1分も椅子に座っていられなかった子、癇癪を起こしたら止められない子、自傷行為が激しい子、、
日常生活から社会的場面に至るまで
色々な困り感を抱えている子どもたちですが
それぞれが一年前からは想像もできなかった育ちを見せてくれ立派に卒園していきました。
4月からは小学一年生です。
個人的には、深く関わってきた子どもたちの卒園と共に、自分の退職がともない本当に最後の卒園式でしたので、さらに色々な思いを重ねての1日となりました。
発達障害をもつ子どもたちと日々向き合っていく中で感じたことは、
①障害のあるなしに関係なく子どもは尊い存在
ということ。
働きはじめた当初は、重度の自閉症や知的障害をもつ子らと長時間接することは過去になく、正直関わることすら不安でした。
何を伝えても理解できないのではないか、
保育以外に何ができるというのだろうか、
自問自答しながら、恐る恐る子どもたちに触れる毎日だったことを思い出します。
けれど、一年、また一年とたくさんの子どもたちと関わっていく中で、
障害があっても他の子どもたちと何ら変わらない!泣いたり怒ったり喜んだり、たくさんの感情表現をする彼らは、お茶目だし、甘えん坊だし、純粋で愛おしい。
言葉が話せなくたって心や意思はもちろんあるし、全身でそれを伝えようとしてくれる。
毎日少しずつできることが増え、彼らのペースで着実に成長だってしている。
そんな風に精一杯生きている子どもたちのことを心から可愛いと思うようになりました。
ペースはゆっくりかもしれない、
でもその生き方は、
人が成長していく過程というものを目に見える形でしっかりと見せてくれ、
人として大切なこと(ありきたりな表現ですが、自分も他の人も、子どもも大人も、障害があってもなくても、人が成長をする過程だったり自信を力に変えていく過程だったり、周りとの関係で変わりゆくものだったり…きっと同じなんだろうなぁと。それを認めて見守り励ましてくれる存在の大きさ。大切だなぁ。とか)
私にとって子どもたちの存在は、
自分を知り、他を知り、丁寧に向き合うとはどういうことか、自分の在り方を問いかけ続けてくれる存在だと思いました。
今では
障害がある=わからない存在=怖い
という感情は全くありません。
障害があったって、人として心の内にもっているものはみーんな一緒。それぞれのペースがあるだけなんだよね。
母性本能をくすぐってくる彼らと接していて
子どもは尊い存在だ!と改めて思う日々でした。
②どの子にも問題行動の背景には理由がある
その理由がわかれば要因となりうる状況を回避したり、
環境を整えたり、こちら側のアプローチの仕方を変えてみるなど改善に向けて工夫していくことができる。
周囲の大人たちが【その子にとって】を考え、見つけ出し丁寧に接していくことができれば、必ず問題行動を軽減していくことができるのだということです。
支援者は、まずその理由は何かな?を見つめます。
この子はこの行動で何を訴えているのかな?
見通しが立たないから不安?
苦手な感触や音があるのかな?
言葉や意味の理解が追いついていないのかな?
視覚刺激が強すぎて注目できていないのかな?
などなど
複雑に絡み合った状態であればそれを紐解いていく作業からはじめ、あの手この手を使って試行錯誤、トライアンドエラーを繰り返しながらその子理解を深めていきます。
それから自分たちの持ちうるあらゆる引き出しを使い、、さまざなアプローチを通して【今】【その子にとって】【最善】で【安心できる】状況とはどんな状況か?を導き出していくのです。
また、同時に、
③子どもを肯定的に見つめ、たくさんの良いところを見つけ、その子ならではのキラリポイントを引き出していくことの大切さです。
それらを日々保護者の方に伝えます。
好きなこと、得意なこと、できること、成長したことなどを伝え続けることで、保護者が抱く我が子へのネガティヴ感情をポジティブ感情に変換していこう!と投げかけ続けるのです。
親にそれらを敏感に感じ取るセンサーが備われば、
子どもの小さな成長(スモールステップ)に気づきそれらを喜ぶことができる。子どもを褒めることができる。親子ともに自信へと繋げていくことができる。
その結果、家庭内に良い循環が生まれるからです。
親が我が子を理解し肯定的に捉えることで、支援やサポートをしていく周囲の人間にその子のポートフォリオなるものを伝えることができ、それがやがてその子自身が生きていく上で重要な情報となっていくからです。
以上を踏まえて
支援者に期待される療育とは、
対象者をよく知り、理解を深めた上で個別のアセスメントを見出し向き合っていく
その中で本人の良い面を引き出し、伸ばしていく。
また、苦手なところは、配慮しながらどうすればその子の困り感が減り生きやすくなるのかを考え、支援の形や選択肢を提供し、理解や実践を促していく。
そんな作業のことなのかなと思います。
トライアンドエラーを繰り返しながら
それらの手段を子ども本人に、また家族や周りに寄り添いながら接し生きやすい環境を整えていく。
それが私たち支援者に期待される仕事です。
発達支援の仕事はとても奥深いものです。
一人一人、その時その時で最適な環境は変わっていくので、これで大丈夫、これが正解!というものはありません。
私に至っては引き出しもまだわずか、(というか自分の育児にも超苦戦してるので,笑)支援者としての道を極めるなんてとんでもないくらいまだまだの分際です。
それでも、経験豊富な支援員の方々と今、最善を考えて子どもたちと向き合っていくことを精一杯やってきました。
それがあっての卒園式。
子どもたちの成長した姿は、やはり嬉しく、誇らしく、感慨深いものでした。
それぞれに凸凹を抱えた発達障害の子どもたち。
これまで、親子共に支援の窓口に行き着くまで何度も心折れそうになりながらそれは困難な思いをたくさん体験してきたことでしょう。
私の実体験にもつながりますが、
支援と繋がることで、
これまで誰にも話せなかったような親の辛い心情に寄り添い、
時には厳しくもあるけれど的確なアドバイスを伝えてくれる相談員との出会いがあります。
そして共に悩み、時には弱音を吐き出し、時には励まし合いながら、困り感の多い我が子の育ちを見つめる親仲間との出会いにもつながっていきます。
我が子を育てていく上で横のつながりは何より心強いものです。
そして実際に子どもたちと共に過ごし、個々の生きる力を育むことを目指した療育を行う支援員との日々の中で、我が子にとって、をブレずに考えていく環境を整えていくことができるようになること。
親や身近な人間がブレずに接し続けていくことは
障害児育児に限らず、子どもが成長していく上で、欠かせないことです。
私は今回の退職で一度現場仕事から離れますが、自分の人生や子育てにおいて多くのことを学ぶことができた発達支援という世界のことを、今後も別の形(例えば発信していくこと)で関わりつづけて行きたいと思っています。
長くなりましたが、
読んでいただきありがとうございました