JACは個性派集団。その1
私がJACジャパンに入社した2000年、既に業界では4位のポジションでした。
・売上 8億円弱。 *非公開ですが立派に利益も出ていた。
・社員数 40名ぐらい。
どっちも、当時のリクルートエイブリックの十分の一で、まだ、全体が見渡せる丁度良いサイズです。
全社員の顔と名前も一致しますし性格もわかる。
私は、当時の大西社長と神村取締役営業本部長の部下として、東京第二営業部長と
大阪支店長とを兼務することになりました。
大西さんは、長年、大手外資系消費財メーカーの役員など歴任された方ですが、
人柄は大変きさくで暖かく人徳のある方です。
神村さんは、持ち前の強いリーダーシップを発揮し、営業部隊の尻をたたいていました。
この時点では、東京の売上対大阪の売上が、「6対4」 ぐらいで大阪支店が大変頑張っていました。
大阪支店が社員数人の時代に、神村さんが大阪支店長として入社し、辣腕をふるって
アグレッシブな営業活動を展開し、どんどん大きくなったのです。
「JACは大阪に強い」という評判は、元々ここから来ています。
大阪支店は、神村さんのハードマネジメントによって、社員のモチベーションやスキルも、
東京を上回っていました。
そんな状況下、オーナーご夫妻から見れば、
「一体、東京は何やっとんねん!!
大阪みたいに、しゃんとすれば、もっと売上上がるんとちゃうか!!」
と思われるのは当然で、東京のてこ入れのために、神村さんを大阪から単身赴任で
呼び寄せたわけです。
ところが、そう簡単には行かないのが東京でした。
大阪支店は、既に神村イズムが徹底されていましたが、東京のコンサルタントはバラバラでした。
それぞれ強い個性を持ち、
「会社のために一丸となって目標を達成しよう!!」
などという空気は全く無く、むしろその逆で、あくまで自分のために仕事をするという雰囲気でした。
「信じるのは金と肉親と親友だけ」 みたいな雰囲気ですかね。
まさに、個人商店の集まりですか。
自分のために仕事をするのは当然ですが、グループ目標や全社目標に対するコミットメントが、
小さなサイズの組織なら、大きくなるためには絶対に必要です。
リクルートでは新卒時代から組織目標に対するコミットメントを徹底して要求されてきたので、
38歳で初転職の私にはカルチャーショックでした。
予想はしていたけれど、
「これほどまでに社風が違うのか・・・・・。」 という感じです。
当時の東京は、この点が業績の良い大阪支店とは大きく異なっていました。
だから、大西さん、神村さんも苦労していたし、私も泣かされました。
上司と部下との信頼関係が無い中では、全てのコミュニケーションが一方通行になります。
当時のコンサルタントの皆さんは、我々を上司とも思っていなかったでしょう。
入社直後に象徴的な事が幾つかありました。
1 東京では、落下傘部隊のように外部から来た私の歓迎会など開かれない。
*役員メンバーでの歓迎会はもちろん大変丁重にしていただきました。
更に大阪支店では社員揃って催していただきました。
2 メンバーが退職する際の送別会にも呼ばれない。
3 指示命令が現場で無視され、更には、公然と、「貴方の方針には納得できないので
従いません。」などと言われる。
4 全く挨拶などしないメンバーも居る。
「これは手強いなー。
こっちも前職とは全く違うという認識でやらないと、こっちが追い出されるぞ。」
と思いました。
当然現在は、このような事は全く無くなり、きちんとした会社になっていますが、
私が入社した2000年のJACの東京は、こんな感じでした。
これじゃあ、東京の業績が伸びないのも当り前です。
マネジメントと社員との間の信頼関係をつくならければ、絶対に業績は上がらないですね。
これから試行錯誤が始まります。
「人生、いたるところに青山あり」
それを信じるしかないが、そんなに甘くないのも現実です。
合掌。
※弊社HP↓。
晴れてJACジャパンに入社。
JACジャパンには、2000年2月に入社させていただきました。
当然、その前には面接があり、当時取締役、後の社長の神村さん(リクルート時代からの友人)と
久しぶりに再会し、ヘベレケになるまで飲みました。
そこには、エージェントのコンサルタント(よく知っている人ですが問題があるので名前は言えません)
も同席していました。
神村さん:「武谷(たけや)さん、一緒にやりましょうよ。
今度、うちの会社に遊びに来てください。
魅力あるオーナーにも会っていただきたいので。」
というような事を言われたと思います。
そして、1週間後ぐらいに先方のオフィスに伺い、まずは、現社長の田崎ひろみさんにお会いしました。
まず、お会いして、全身から凄いオーラが出ているのに驚きました。
初めの2時間は、私の職務経歴書をベースに大変具体的で鋭い質問をされ、後半の2時間半は
ひろみさんの過去の人材紹介業の経験、イギリスの人材ビジネスの話、JACのビジョンなど
大変情熱溢れるお話を伺いしました。
トータル4時間半です。
さすが30年もコンサルタントからたたきあげて経営者になった人です。
人材紹介業の事を、大変深く理解されている点に共感を覚えました。
お互いに長年やってきたからこそ通じる話とか、ビンビン感じるものがあります。
なかなか社外でそのような方とお目にかかる機会は無いので、私も興奮しました。
ひろみさん:「貴方がこれまでやってきた分業というやり方は、未だに理解できない部分があるけど、
当社もそれをうまく取り入れないと大きくできないかもしれない。
やり方は違っても、今日の話で私たちはお互いにプロだと確認できた。
時々意見がぶつかるかもしれなけれど、一緒にやってみませんか?
必ず成功すると思いますよ。」
私:「ありがとうございます。
私も他の会社の方と、人材紹介業に関して、こんなに深くお話しできて良かったです。
勉強になりました。」
ひろみさん:「それでどうするの?
いつから来れますか?
うちは早い方がいいんだけど。」
*来たー!! いきなりのクロージング。さすがにトップセールスは早いなー。
私:「いやー、はい。
ありがとうございます。
ただ、今の会社にちゃんと辞める話をしませんと・・・・・・。」
ひろみさん:「うちは1月から新しい期がスタートするのよ。
1月から来なさいよ。」
私:「はい。決めたら早くスタートしたいとは思いますが・・・・・・・。」
ひろみさん:「じゃあ、今の会社を辞めるように話を進めるのね?
いつ、誰に話すの?」
私:「いやー、直属の取締役はもちろん、社長も含めて上司には・・・・・・・。」
ひろみさん:「じゃあ、明日からでも早速話してね。
それで、できるだけ早く辞めてジョインしてよ。
そういうことでいいわね?」
私:「はー、また状況を報告します・・・・・・。」
ひろみさん:「じゃあ、今からグループのチェアマンの田崎に会ってもらうわよ。
こっちに来て。」
という強いクロージング力で、グループ創業者の田崎さんの部屋に連れて行かれました。
田崎さん:「どうも、こんにちは。はじめまして、田崎です。」
私:「武谷(たけや)と申します。宜しくお願い致します。」
田崎さん:「随分長かったね。どうだったの?」
ひろみさん:「私は来てもらいたいと思いましたよ。
武谷(たけや)さんも、そのつもりよね?」
私:「えー!! は、はい。」
田崎さん:「それじゃー、いいじゃない。
いつから来れるの?」
私:「えー、これから今の会社に話をしまして、いつ辞めるかが決まれば・・・・・・。」
田崎さん:「丁度いいね。1月からだし。」
私:「は、はい。
ただ、ちょっと1月は間に合わないかもしれませんが・・・・・・・。」
ひろみさん:「できるだけ1月がいいわね。
新しい期が始まるから、ちょっと急いで話してみてよ。」
私:「はい・・・・・・。
できるだけ・・・・・・・・。」
田崎さん:「じゃあ、期待して待ってますから、是非一緒にいい会社にしましょう!!」
という感じで握手です。
うーん、今日は話を聞きに来ただけなのに、どうしてこんな急展開になるんだ?
それにしても、恐ろしいクロージング力。凄いパワーだな。
結局は後日、神村さんを通じて、どうしても1ヶ月は有給消化したいので、入社は2月1日に
させていただきました。
*実は、田崎さんとは初対面ではなく、お目にかかるのは2回目でした。
昔、田崎さんが経営にタッチされていた会社が、偶然私のクライアントだったので、
13年ぐらい前にお会いした事がありました。
田崎さんは、全然覚えていらっしゃらないと思いますが、これもご縁でしょう。
転職の時は、複数の会社を見てみたいという気持ちもありましたが、私も縁を大事にして、
即断即決するタイプなので、あっさりと1社応募で決めてしまいました。
人には、「いろいろな会社を見てみましょう。」
などと言いながら、いつも自分の事になると違う行動をとってしまうなー。
でも、ご縁は大事ですね。
合掌。
※弊社HP↓。
さらば、リクルート!!
私は、1984年4月にリクルート入社後、2年後ぐらいにリクルート人材センターに転籍。
そして、2000年1月にリクルートエイブリックを退職しました。
約16年間お世話になって、本当に良い上司・同僚・メンバーに恵まれ、楽しく働けた事、
心から感謝しております。
こんなにわがままで馬鹿な私を泳がせてくれる会社は、めったに無いでしょう。
ありがとうございました。
退職理由は、明白ですので、率直に書かせていただきます。
私が部下(現在の家内)と社内恋愛関係になったこと。
「天網恢恢、疎にして漏らさず。」
暖かく慰留していただきましたが、ビジネスマンと言うより人間として会社を辞めました。
私、初婚も社内、相手は同期で24歳で結婚しました。
かわいい娘も二人います。
どんな罰も免れません。
初婚の仲人をしていただいた、めちゃ悪オヤジM役員には、特にご迷惑をおかけしました。
また、社長の岡﨑さんや、取締役の中島さん、沼田さん、田畑さんのご期待を裏切る結果となり、
心よりお詫び申し上げます。
それから、同僚やメンバーに与えた失望も大きかったと思います。
当然ながら、当事者の元の妻と子供たち、三家の両親、そして現在の妻。
皆さん、申し訳ございませんでした。
あの時、それぞれの方から頂戴した言葉、今でも忘れません。
「お前、本当に辞める気か?
本当に辞めるなら、絶対に辞めろ。
辞める、辞めると言って、辞めない男は、ビジネスマン以前に人間としてバカにされるぞ。
辞めると決めたら、誰が何と言おうと辞めろ。」
「どうして辞めるんだ?
そこまで自分を追い込まなくてもいいじゃないか?
間違いは誰にもある。
俺にだって心当たりがある。
それなりのケジメをつけて、また出直せばいい。」
「俺はお前が好きなんだよ。
だからこれからも一緒に働きたい。
もっといい会社にしよう!!」
「部長を全員役員にするわけにはいかん。
だから、お前を選び、一つ先に昇格させた。
普通なら、『よし、ここで一つ』 と思って全力を出して頑張って、
いずれは他の役員も追い越して社長になってやろうというぐらいの気持ちに
ならんといかん。
お前が今回のような事をしたのは、お前には一番大事な『よし、ここで一つ』という
気持ちが無いからだ。
もっと欲のある男だと思っていたのに残念だ。」
「仕事」、「職場の人間関係」、「家庭」、「給与」、「出世」など、人によってモチベーションのウエイトが
異なると思います。
私の場合、一番は「職場の人間関係」だったのかな?
これがうまくいかないと、何をやっても楽しくないですから。
しかし、これを自分自身が壊す結果となったわけですから、もっと別のものが欲しかったのでしょう。
格好良く言うと「自由」ですが、実際には現実から逃げたかったんだと思います。
「仕事」、「職場の人間関係」、「家庭」、「給与」、「出世」の全部が行き詰って、もう自分では
バランスが取れないところまで来て、38歳まで演じていた生き方が限界になった。
「仕事」⇒マネジメントって何がおもしろういんだろう? 毎日会議ばかりだなー。
「職場の人間関係」⇒現場と距離が離れたなー。みんなも、そう思っているだろうなー。
「家庭」⇒毎晩、寝に帰っているだけだなー。女房とも子供とも楽しい時間をつくれていないなー。
「給与」⇒こんなにもらえる価値がある仕事はしていないなー。
「出世」⇒元々、出世するつもりも能力も無いんだけど。
そんな事を思っているところに、運命の出会いと別れがあった。
逆に別れて、過去の全てが有難く感じられた。
自分はなんと恵まれていたんだろうと思った。
しかし、わがままで自分本位。今でも変わっていない。
今の家内にも迷惑や心配をかけてます。
退職と同時に、2000年2月から、JACジャパンに拾っていただきました。
入社後、数ヶ月経って、オーナーにも本当の転職理由をお話しました。
寛容に受け止めていただき、ありがとうございました。
あー、いろいろな人にお詫びして、いろいろな人に感謝しながら、
前向きに生きていかなければ。
皆さん、ありがとうございます。
合掌。
※弊社HP↓。