みなさん、こんにちは。
穏やかな日曜日の午後、如何お過ごしですか?
さて、今回は以前に掲載しました 「子供に見られるPTSD・・・①、 ② 」に続き
その③になります。
1) 家族や周囲の人の対処法、接し方
まず、大切なことは、「子供の示す言動は、すべて意味あるものである」ということです。
子供たちは、不安、緊張等が強いと、大切な養育者(親など)から、
育ちのエネルギーを補給してもらおうと、一時的に幼い頃に戻ろうとします。
指しゃぶり、添い寝の要求、赤ちゃん言葉など・・一般的にあかちゃん返りと呼ばれるものです。
また、自分自身のこころの状態、辛く、寂しく、心細い心情に気づいてもらうサインとして、
様々な症状を見せる場合もあります。
このような子供の示す症状の目的は、「大切な大人たちに、気づいてもらい、配慮してもらう」
ためであり、「症状の急いだ解決、消滅」を求めている訳ではないのです。
私たち大人は、子供たちの精一杯のサインに対して、うろたえず、どっしりと構えて、
不変の安心感を提供できると良いですね。
トラウマからの回復過程は、次の3段階からなると言われています。
① 「安全、安心の確立と提供」
② 「想起と服喪・追悼」
③ 「日常生活との再結合」
中でも、日常をともにするものが心がけておくべきことは、①です。
アメリカのPTSD研究の第一人者であるハーマンは、
「回復するための第一原則は、『その後を生きる者』の中にパワーを与えることにある。
『その後を生きる者』自身が自分の回復の主体であり、判定者でなければならない。
その人以外の人間は、助言をし、支持し、そばにいて、立会い、手を添え、助け、温かい感情を向け、
ケアをすることはできるが、治療するのはその人(その後を生きる者)自身である。」と言っています。
つまり・・、
周囲の人は励まし、勇気づけることはできますが、自己を肯定して生きる力を実感し、
その力を試すのは「その後を生きる者」である子供本人なんです。
子供本人が、充分に安心し、安全感を自覚し、外傷体験を異物として切り離し、
改めて「体験」として実感した事柄を自分自身に組み込むことから始まるのです。
周囲の大人たちは、「その後を生きる者」である子供の主体性を信頼し、
伴走していくことしかできません。
「話をしてごらんよ」と言いながら、「ほら、だめだめ、お母さんに貸してごらん」、
「やってあげるよ」といったふうに口数多くし、次第に指示的、命令的に関わることは、
二次的トラウマを生みやすく、依存させてしまうことにもなります。
このようなケースは大人が「子供であってはいけない」 というようなリミティングビリーフがあると
生じやすくなるかもしれません。
子供が事故を肯定し、体験を組み込む方向への進展を妨害してしまうことにもなりかねません。
だからと言って、
突き放してもいけません。
陽だまりの縁側に座っているおばあちゃんのように、いつも「そこにいる」ということが大切です。
ともに、そばにいることだけで、何もできないかもしれない、してあげられないかもしれない
(でも実は、こうした思いそのものが、「依存させやすい」関わりに陥りやすいことに
大人は充分注意しておく必要があります。)ながらも、それでも、その人のそばにいる、
一緒にいること、 「あなたも、私も、一人ぼっちではないんだよね」といった相互確認こそが
理解の一歩であり、援助の最後の砦と言えます。
そして、回復には時間が必要であることも忘れないでほしいですね。
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