女流歌人とポルカ | 店舗探し.comの過去コラム

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2014/3/26

 

昭和2年の今日3月26日午前11時30分、ある女流歌人が、自宅で
ひっそりと息を引き取りました。
三ヶ島葭子さん。享年40歳でした。
 
一日にて別るる吾子のほころびを着たるままにてつくろひやれり
 
障子しめてわがひとりなり厨には二階の妻の夕餉炊きつつ
 
苦しくも悲しくも今はあらぬなりいきの命をつひに生きなむ 
 
彼女は、結婚前から肺疾患を病んでいたために、生まれた娘とは
たった1日で引き離され、娘は夫の実家に預けて育てられました。
結婚生活もうまくいかず、夫が愛人を同居させる時期が2年ほども
ありました。
晩年は脳出血により半身不随となり、最後は脳出血が再発して、
ただひとりで亡くなったのです。
 
『老人と子供のポルカ』(作詞・作曲:早川博二)
 
(たすけてー)
 
ズビスバー パパパヤー
 
やめてケレ やめてケレ
やめてケーレ ゲバゲバ
やめてケレ やめてケレ
ゲバゲバパパヤー
 
ラララ ランラン ララララ
ゲバゲバー ランランランラララ
ゲバゲバ どうして どうして
ゲバゲバパパヤー
おお 神様 神様 たすけてパパヤー
 
1970年(昭和45年)左卜全とひまわりキティーズによって歌われ
たこの曲はヒットし、レコードは約24万枚を売り上げました。


高度経済成長の真っただ中で、日本万国博覧会の開催を目前にし
たこの時期は、日本の絶頂期であったと同時に、学生運動(ゲバ)
や交通事故(ジコ)、ストライキ(スト)などの社会問題も噴出
していました。

『老人と子供のポルカ』は社会問題の犠牲者となる弱者(老人と
子供)が歌うメッセージソングでした。
 
左卜全さんは黒澤明監督作品ではでおなじみの俳優でしたが、
孤高の変人として、業界では異端視されていました。
愛妻家としても知られ、撮影現場にはいつも妻の糸さんが付き
添っていたそうです。

 

本名は三ヶ島一郎。三ヶ島葭子さんの異母弟です。

彼は、『老人と子供のポルカ』をヒットさせた翌年、奥さんひと
りに看取られて亡くなりました。
 
奇しくも二人は、共に注目を浴びる立場に身を置きながら、孤独
の影をまとった人生を生きたのでした。
 
『老人と子供のポルカ』は以下で聴くことができます。

 

https://www.youtube.com/watch?v=LZZk0tP49H8
 
左さんの後ろで歌う「ひまわりキティーズ」の中に、『ひだまり
の詩』のヒットで知られる元「Le Couple」の藤田恵美さんがいま
す。
おわかりになりますでしょうか。