これでいいのだ! | 店舗探し.comの過去コラム

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2013/12/24

まもなくかなたの 流れのそばで
楽しく会いましょう また友だちと
神様のそばの きれいなきれいな川で
みんなで集まる日の ああなつかしや

よいことを励み 流れのそばで
お受けいたしましょう 玉の冠を
神さまのそばの きれいなきれいな川で
みんなで集まる日の ああなつかしや

今日はクリスマスイブです。
そして明日はクリスマス。キリストの降誕を祝う祭の日です。

いつのまにか日本では、クリスマスが1年で最も重要なイベント
となってしまったようです。
クリスマスを誰と祝うのかは、特に若い人たちにとっては最大
の関心事と言っても過言ではないでしょう。
 
クリスマスにかこつけて、多くの男女で恋のさや当て、ドラマ
が繰り広げられます。
聖なる夜は、欲望という最も俗なエネルギーが最大限に渦巻く
夜でもあるのです。
 
「天才バカボンのパパ」が生まれたのは、1926年12月25日。
“天才”と“バカ”。
相反する言葉を併せ呑んでいる天才バカボンのパパ(以後は
パパといいます)は、生まれたとたんに七歩歩いて右手で天を
指し、左手で地をさして
 
「天上天下唯我独尊」
 
と、釈迦の伝説そのままの言動をしたのです。
 
パパは家庭教師をしたり、自動車修理をしたりと天才ぶりを
如何なく発揮していましたが、くしゃみをした瞬間に頭の歯
車を一つ落としてしまい、以来バカになってしまいます。
 
俗っぽい欲望をむき出しにしたり、子供と本気で喧嘩したり
する一方、ふとした瞬間に、名言を吐いたり、無償の愛を捧
げるような聖人らしい行動をとって、

「これでいいのだ。」

と、うなずくこともあります。
真のバカなのか、バカを装った偉大なる聖人なのか、つかみ
どころのない人物です。

アインシュタインも、子供の時は出来が悪く、舌をべろっと
出した写真が有名なように、天才とバカが同居していたよう
です。

天才にしてバカ。
聖にして俗。
表と裏。
明と暗。

どちらか一方だけという人間などは、いないのではないかと
思います。

クリスマスという神聖な日に、彼女(彼)を何とかものにし
たいと策を練って俗な欲望をたぎらせている人たちに、他人
の俗や裏や暗部だけを執拗に、しかも一方的に糾弾する資格
はあるのでしょうか。

強そうに見えても弱い人間は、キリストのような温かいまな
ざしで他人を思いやることが必要なのでしょう。
 
冒頭を飾ったのは、聖歌687番『まもなくかなたの』です。
この歌のメロディーは、「たんたんたぬきの~・・・」と、
ほぼ同じです。

子供たちがふざけて歌い上げる低俗な歌にも、聖なる調べが
宿っているのです。