刑事と女医と板前と | 店舗探し.comの過去コラム

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2014/01/29

年も改まり、テレビでは連続ドラマの新シリーズが続々と始まりま
した。
NHKと民放、BSも合わせると20本以上あるのではないでしょうか。
全般的な特徴として、いわゆる警察ものと医療ものの数が際立って
多いことが挙げられています。

ドラマの本質を一言で言うとすれば、【葛藤と和解】ということになる

でしょう。

男と女、親と子、上司と部下、少年と大人社会・・・。

何かと何かに葛藤が起き、最後は和解に至ります。
和解と言っても、ハッピーエンドとなるプラスの和解だけとは限りま

せん。決裂したり、破滅したりといったマイナスの和解で決着する

こともあります。

事件が起こります。
犯人と警察との息詰まるやり取りの結果、犯人が逮捕されて大団円
を迎えます。
社会秩序が、正義の名の下に異分子を自らの懐深く隔離して、相手
が望む望まないにかかわらず、強引に和解に持ち込みます。

病気と医者との戦いも、最後はいずれかに勝利をもたらします。
“治癒”もしくは“死”という形で和解し、安定に至ります。

すり、万引きから、強盗、殺人、テロ・・・。

事件のバリエーションは豊富です。
病気も同様、擦り傷や風邪から、ガン、アルツハイマー、原因不明
の難病まで、その種類の多さでは事件に引けを取りません。

葛藤のバリエーションが豊富な、警察や病院を舞台にしたドラマが
多いのは当然といえます。

社会の公器となった、テレビを通じて発信されるドラマであれば、
社会性を期待されるのもまた、当然です。
勧善懲悪のドラマを通して、子供を教育し正義感を涵養する、とか、
社会のゆがみを具体的にあぶりだして問題提起をする、とか、目立
たない世界で地道に社会貢献している人にスポットをあてて、その功

を称えるとか。

いずれにしても、ドラマ制作の意義を、スポンサーや上層部が了解
することが、制作実務が動き出す前提条件となっていることはまち
がいありません。
あちこちの配慮をせざるを得ない大人の判断を通過したドラマの
【葛藤と和解】など、こじんまりと収まりのいい予定調和で決着しがち

なのもやむを得ないのでしょう。

結局、どれほどリアリティを追求したとしても、テレビドラマで描かれる舞台は、現実の世界よりは図式化されて、すっきりしたものになって

しまいます。

実際に刑事として働いていらっしゃる方にとっては、刑事ドラマは
ご都合主義だと不快感を覚えることがあるでしょう。

患者やその家族は、絶対に失敗しない女医や、難手術をいとも簡単
に成功させる外科医が活躍するドラマのような展開を期待します。
過度の期待を掛けられて、重圧を感じるお医者さんもおられること
でしょう。

飲食店も、ドラマの舞台になりやすいといえます。
至高のメニューを追い求めるシェフや最高の技を極めたい板前、

居酒屋のおやじ、小料理屋の女将、グルメ通・・・。
飲食店回りには多彩な顔ぶれがうろつきますから、否が応でも葛藤
が起こるのです。

飲食店を経営したことのない人たちにとっては、客席から窺えない
厨房内では、ドラマのような世界が展開されているに違いないと

思い込んでいる方も多いでしょう。

しかしやはり、飲食店を実際に経営されているオーナーや店長、

シェフ、板前さんにしてみれば、ドラマで描かれている世界には
違和感を覚えて、ツッコミを入れたくなる場面がたくさんあるものです。

ドラマに登場する、カッコいい刑事に憧れて警察官を志し、神業で
難手術を成功に導く天才外科医を夢見て、医学部を受験する人が

います。
しかし、数の上では、飲食店オーナーにチャレンジする人の方が圧倒

的に多いはずです。
刑事や医者になるためには、試験を突破したり国家資格を取得しな
ければなれません。
その点、飲食店を経営するために試験を受ける必要はありませんし、
調理師免許も必ずしもいりません。参入障壁が低いのです。

実際の刑事事件は、ドラマのように必ずしもすっきりと解決するわけ

ではありません。
手術だって、失敗がゼロというわけにはいかないでしょう。

もちろん、飲食店も同じです。
閑古鳥が鳴いている飲食店が、あっという間に行列のできる有名店に

成り上がることはまずありません。
オヤジが客と喧嘩ばかりしている居酒屋や、女将自身が飲んだくれて

いる小料理屋の経営が成り立つべくもありません。

どろどろ、ちまちま、ぐちゃぐちゃ、ねちねち。

私たちの日常生活は、葛藤も和解もないまぜになって、延々継続し
ていきます。メリハリのついた世界など、現実には存在しないのです。


葛藤だって、必ずしも和解を約束されてはいません。
ドラマは3ヶ月で終ることがあらかじめ決まっていますが、人生ドラマの

最終回は、いつともしれません。 

もちろん、葛藤に懸命に取り組んでいれば、和解が実現することは
あるでしょう。
しかし、けりがついても、そこで終わりにするわけにはいきません。
新たな葛藤はすぐに発生して、果てることはありません。

そうかと思えば、和解を迎える前の中途半端なままで、いきなり寿命が

打ち切られ、最終回を迎えてしまうかもしれません。
 
名もなき庶民の一篇の人生ドラマなど、他人にとっては退屈極まり

ないものです。
もちろん、スポンサーはつきませんし、人の目に触れる形で公開される

こともありません。
にも関わらず、生きている限り、あなたは毎日シナリオを書き、アクシ

デントにはアドリブで対応しながら主演を張っていかなければなりま

せん。

これまでの人生が、救いようのない陰鬱な展開だったとしても、今日

からは一転、抱腹絶倒の喜劇に方向展開することもできます。
胸が詰まるような悲劇にするも、感動巨編にするも思いのまま。

すべてはあなたが描く、今日からのシナリオと演出、そして演技力に

かかっているのです。

最終回、主役としてのあなたが死に臨んだ時、エンドロールが流れる

場面を見ている視聴者は、誰ひとりいないかもしれません。
それでも、薄れゆく意識の中で、演じきった満足感をあなた自身が

実感できたのならば、それで十分なのではないでしょうか。

そして、あの世に行ったら、自分自身のドラマを、最初からゆっくりと

心ゆくまで鑑賞すればいいのです。
都合の悪いところはバッサリとカットしてしまいましょう。

笑いあり、涙あり、感動あり。
良い人生だった、と、必ずや確信できることでしょう。