ゴジラとウルトラマンを作った男 | 店舗探し.comの過去コラム

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2011/4/26

 

「(電気代は)1時間で一般家庭の1年分以上使うね」

そんなことを言ったら袋叩きにあいそうですが、これは今から50年
も前の話です。
映画の特撮セットの中で太陽の光を再現するために、沢山の照明を
使ったそうです。

『円谷英二の言葉 
      ゴジラとウルトラマンを作った男の173の金言』
               右田昌万著 文春文庫

スティーブン・スピルバーグ、ジョージ・ルーカス、宮崎駿・・・。


“特撮映画”というジャンルを確立させた「特撮の神様」円谷英二
さんは、作品を通して、多くのクリエイターに影響を与えています。

円谷さんはまた、撮影用クレーン、ホリゾント、ミニチュア撮影と、
次々にハードや撮影手法を開発しました。


証明写真などに使われる三分間写真ボックスの原型となるものを世界
で最初に作ったのも円谷さんだそうです。

「コンクリートには鉄筋が入ってるのは当たり前」

ミニチュアのビル破壊で、ビルの破片の側面が真っ白だったのを見て、美術スタッフにこう言って注文をつけたそうです。
以来、円谷組のミニチュアの破片には、鉄筋に見立てた糸くずが仕込
まれるようになりました。

「考えて考えて、胃に穴が空くまで考えないと」

味噌汁のお椀の底に沈んだ味噌が箸を入れた途端にもわっと膨らむ
様子を見て、きのこ雲の特撮トリックを思いつき、飛行機が一回転
するシーンでは、山のミニチュアや空の背景の方を一回転させる手法
で撮影しました。


最初の「ゴジラ」から最後の監督作まで、どれひとつとして、同じ
ようなゴジラのアングルがないのも、既存のアイデアに安易に頼ら
ない円谷さんのプライドがなせる業だったのでしょう。

「仕事に生き、仕事に勝負し、仕事の中に死ぬ」

功成り名を遂げた円谷英二さんでしたが、いい映像を作るためにお金
には糸目をつけない円谷プロは赤字続き。創業者で社長だった円谷
さんは、給料をもらっていなかったそうです。


大阪万博の三菱未来館で上映予定のサークロマ映像の撮影中に、体調を崩し、静養中に亡くなりました。
その間も新企画を構想し続け、最後に記された日記にはこう記されて
いたそうです。

「今日もヒコーキ野郎の企画書脱稿に至らず、わが無能を嘆くのみ」