多様性ですが、何か? | 店舗探し.comの過去コラム

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2012/03/31

 

“多様性”という言葉が、今ほど強力で説得力を持つ時代は
無かったでしょう。

 

かつては一糸乱れぬ国家の団結をよしとし、一党支配こそが
世界の多数派でした。
しかし、そんな時代も既に遠い過去になりました。今では、
少数意見にどれほど配慮しているかが、民度をはかるバロ
メーターとなっています。

 

生物生息空間がほとんど自然のあるがままに再現されていて、
様々な動植物が混在しているビオトープに高い価値を見出す
一方、左右対称に整備され、幾何学的に池を配置、人為的に
選ばれた植物だけが人工的整形を施されて植栽される伝統的
なフランス式庭園には、むしろ古臭さを感じてしまうのです。

 

店のお客様の意見もまた多様です。

 

「味が濃すぎる!」

 

と指摘してほとんど食べ残して席を立つお客様がいます。

 

「味が薄くて食べた気がしない!」

 

とテーブルの調味料をジャブジャブかける人もいます。

 

「従業員がフレンドリーで余計な気を遣わなくていいから
居心地が良いよ。」

 

と褒められることがあれば、

 

「なんだ、お前の店は客に対してタメ口を利くのか。
いったいどんな教育をしてるんだ!」

 

と憤慨されることもあります。

“多様性”の時代の店は、味付けや接客態度を多様なお客様
のニーズや好みに応じて、柔軟かつきめ細かに修正できる
かどうかで成否が決まるといっても過言ではありません。

 

国の舵取りもまた、多様な意見に翻弄されて迷走している
ようです。

ある一つの素晴らしい価値観を声高に叫ぶ者には、その価値
観がいかに優秀であったとしても糾弾して引きずり下ろそう
とする勢力がどこからとも無く現れます。
彼らは、彼が主張する価値観の長所には触れることなしに、
細かな欠点ばかりをヒステリックに糾弾します。彼の価値観
を貶めることだけに腐心し、多様な価値観の凡庸な一つに
すぎないとわめきたてるのです。

 

「右」と言えばダンディズムを意識した気取り屋だと馬鹿に
され、「左」だと宣言すれば青臭いヒロイズムだと一蹴され
ます。


「前へ」と言えば、でしゃばりの目立ちたがり屋だと笑われ、
「後ろへ」と控えれば、分別臭い敗北主義だとののしられます。
かといってその場にじっと佇んでいれば無為に時間を浪費す
る怠け者めと叱られてしまいます。

 

「右」を馬鹿にした者に「ではあなたは左か」と問えば、
「右ではない」と言い募るばかりで話が進まず、「左」を
一蹴した人に「ではあなたは右か」と聞けば、むにゃむにゃ
と口ごもってはっきりしません。


「前へ」を笑った当人に「ではどうすれば?」と尋ねると、
「それを表明する立場にはない」と開き直り、「後ろへ」を
ののしった者は逸早く身を隠してしまっていて、問いかける
ことさえ出来ないのです。

 

右へも左へも舵を切れず、前へも後ろへも進めません。
もちろん、立ち止まるわけにはいかない以上、為政者たちは、
さぼっているわけではないとのアリバイ作りのために、あち
こちの勢力と際限の無いおしくらまんじゅうをし続けなけれ
ばならないのです。

 

【針路の決定】と【多様性】の関係は【矛】と【盾】のよう
に、相性の悪い取り合わせなのです。

絶対的な切り札に見えた“多様性”というカードにも弱点が
あったということなのでしょう。

 

はたして、多様性を担保しながらも速やかに進路を決定でき
るような手段を獲得することは可能なのでしょうか。

私たちに、制限時間はあまり残されていません。