天才という規格 | 店舗探し.comの過去コラム

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2011/5/20

標準的な規格や基準を決めることは、商品を製造したり一連の
プログラムを効率よく進行するのに便利です。
しかし、標準的な規格や基準を決めてしまうとその中に収まら
ないものも当然出てきます。
規格外品は、圧倒的な少数派で、効率に馴染まないイレギュラー
な存在ゆえに、疎んじられたり、白眼視されることもあります。

天才は、一種の規格外の人間ということが出来ます。

凡人のサイズを前提としたルールや基準に収まらない天才は、
その苦悩を共有できる仲間がいないため、孤独感に悩むことに
なります。

去年『Mother』(日本テレビ系)で奇跡的な演技を見せつけ、
日本中を泣かせた芦田愛菜ちゃんは空前絶後の大天才でしょう。
その才能はこれまでの子役と比較するのも憚られるほどレベル
が高すぎる規格外といえるでしょう。

普通、子役が与えられる役どころは「泣き虫」だの「いじめっ
子」だのとのおおざっぱで単純な役作りで間に合うものばかり
です。
そうした役を健気にそして器用にこなしさえすれば、天才子役
と持ち上げられ、ちやほやともてはやされたものです。

しかし、愛菜ちゃんの天才ぶりはそんな並の‘天才子役’とは、
ものが違います。
普通の子役がこなすような役どころを演じるときの愛菜ちゃん
は、むしろ精彩を欠いているようにさえ見えます。
もちろん、彼女のせいではありません。

小学生のリトルリーグチームに“イチロー”が混じってプレー
したりちびっ子相撲大会に“白鵬”が出場すると想像してくだ
さい。
レベルの違いすぎる舞台では、力をもてあましてしまう天才は、
真価など発揮しようがないのです。

芦田愛菜ちゃんの苦悩は、『Mother』以降、彼女の実力が発揮
できるほどに書き込まれた脚本に、まだ巡り会えていないとこ
ろにあるのです。

制作サイドも、たった6歳の子供の演技力に作品のすべての成否
を委ねるような勝負の仕方などやったことがなく、彼女の起用
法については当惑しているのかもしれません。

どのテレビ局でも、同時代が生んだ稀代の大天才の登場に沸き
立って、バラエティ番組あたりでいじくってははしゃいでいる
ばかりです。
現在出演中のフジテレビ系のドラマ『マルモのおきて』は、
【両親をなくした双子】といちおう捻った設定を用意しました。
しかし、彼女にとってはちっとも高いハードルではなく、ステ
ロタイプな手抜き演技で、いとも簡単に大人の視聴者を転がし
ているかのようです。

イチローにとってのメジャーリーグ、白鵬にとっての大相撲。
天才は、その能力に相応しい舞台があってこそ天才としての真
価を発揮します。

芦田愛菜ちゃんの天才のスケールを測ることが出来るほどの難
役を用意した、骨のある脚本に出会えたとしたら、その時こそ
私たちは奇跡的な傑作を観ることが出来るでしょう。