知ったかぶりと知らんぷり | 店舗探し.comの過去コラム

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2014/3/14

「知らざるを知らずと為す是知るなり」
(知らない事は知らない、と、自覚すること、これが本当の
知るということである。)

この言葉は論語に出てきます。

ソクラテスは、自分だけが「自分は何も知らない」という
ことを自覚しており、その自覚のために他の無自覚な人々に
比べて優れているのだ、と、胸を張りました。
つまり、昔から人はよく知ったかぶりをしていたのです。

知ったかぶりをすることは褒められたことではありません。
しかし、いったん知ったかぶりをしてしまうと、知ったか
ぶりの馬脚を現さないようにするためには、ばれないうち
に知識を身につけていかなければなりません。
その限りでは「知ったかぶり」は、勉学に対するやる気を
引き出すエネルギーになりえます。

それに、知ったかぶりはとても人間臭い振る舞いですから、
いったんばれてしまった時には、相手を思わず微笑ませて
しまうのどかさがあります。

それに対して「知らんぷり」はどこか人を馬鹿にした行動
で、知っていることが明らかになったときには、周囲の空気
は嫌悪感が支配します。

「聞こえないふり」が招いた佐村河内氏の一連の騒動は、
なんともお粗末で、漫画のようではありますが、招いた事態
はかなり深刻です。

真に耳が不自由な聴覚障害者の方たちが、本当は聞こえてい
るのではないかとの疑いを掛けられ、いわれのない偏見に晒
されることが一気に増えたのです。

『聴こえてる、ふりをしただけ』(監督 今泉かおり)とい
う映画があります。

不慮の事故で母親を亡くした、11歳の少女・サチ。周囲の大人
は「お母さんは、魂になって見守ってくれている」と言って
慰めるのですが、なかなか気持ちの整理はつきません。

「お母さんがそばで守ってくれているのに、なんで友達にいじ
 わるをされるの?」

少女が切ない思いに翻弄されながらも、再生していくストー
リーです。
聴こえてるふりをしたとは、少女が社会と精一杯折り合いを
つけようとした苦心の策なのです。

「聞こえたふり」と「聞こえないふり」。
「知ったかぶり」と「知らんぷり」。
「見てきたようなことを言うこと」と「見て見ないふり」。

やってはいけないのは、全て後者なのです。