帰りなんいざ | 店舗探し.comの過去コラム

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2013/11/1

例えば良い旅だったと
惜しむは 倦む前だろう

馴染んだ世界を赤子のように
清らな瞳で見てみたい

帰ろう潮は満ち引く
この身も咲きて散りゆく

左様ならば
いざゆかん
産声のときへ

また始まる道


『帰去来』 作詞:北原白秋

山門は我が産土、
雲騰る南風のまほら、
飛ばまし今一度、

筑紫よかく呼ばへば、
恋ほしよ潮の落差、
火照り沁む夕日の潟

盲ふるに、早やもこの眼、
見ざらむ、また葦かび、
籠飼や水かげろふ。

帰らなむ、いざ、鵲、
かの空や櫨のたむろ、
待つらむぞ今一度。

故郷やそのかの子ら、
皆老いて遠きに、
何ぞ寄る童ごころ。


陶淵明は41歳にして役人に嫌気がさして職を辞し、以来、故郷
の田園に隠遁します。その際に歌ったのが『帰去来の辞』です。

已ぬるかな
形を宇内に寓する 復た幾時ぞ
曷ぞ心を委ねて去留に任せざる
胡爲れぞ遑遑として何くに之かんと欲する
富貴は吾が願いに非ず
帝郷は期す可からず
良辰を懐うて以て孤り往き
或は杖を植てて耘シす
東皋に登り 以て舒に嘯き
清流に臨みて詩を賦す
聊か化に乗じて以て尽くるに帰し
夫の天命を楽しんで復た奚をか疑はん

まあ仕方の無いことだ。
人間は永久には生きられない。命には限りがある。
どうして心を成り行きに任せないのか。
そんなにあくせくして、どこへ行こうというのか。
富や名誉は私の願いではない。
かといって仙人の世界、などというのも
アテにならない。
天気のいい日は一人ぶらぶらし、
傍らに杖を立てておいて、畑いじりをする。
東の丘に登ってノンビリ笛を吹き、
清流を前にして詩を作る。
自然の変化に身をゆだね、
死をも、こころよく受け容れる。
こんなふうに天命を受け容れてしまえば、
もはや何のためらいも無いだろう。

「帰りなんいざ」。
“帰去来”は、こう訳します。

こうした詩歌が身に沁みるようになったら、人生もたそがれと
言えるでしょう。
募る郷愁、抑えがたき胎内回帰願望に誘われて、人は故郷へと
足を向けるのでしょう。それは丁度、象が死期を悟り墓場へと
向かうのと同じ、人間の本能によるものかもしれません。
震災や台風などによって故郷の風景をずたずたにされた方々の
辛いお心持を思うと、胸は張り裂けそうに痛みます。

ご夫婦ユニット【綺羅】のアルバム『帰去来』には『帰りなん
いざ』という曲も収録されています。作詞は綺羅のおふたりです。
タイトルには「~被災地への思いをこめて~」とのキャプション
がついています。

なくした景色を辿るように
わずかな光に命が咲くように

風が舞うひらひら夢を連れて

いつの日もふわふわ柔らかな
羽を広げて

帰りなん いざ


誰もが安心して帰ることができる、美しい故郷を取り戻すまで
は、まだまだ自分たちばかりがたそがれに浸っているわけには
いかないのです。