2011/9/2
1歳頃のある日のこと。
私は窓際にあるベッドの、いかにもふかふかの布団に寝そべってい
ます。
ぽかぽかと暖かい日の光を吸い込んだ掛け布団のひなびた匂いを嗅
ぎながら、ふわふわの感触を味わい、何の心配もない幸福感に包ま
れながら、とろとろとまどろんでいます。
これが私の人生最初の記憶です。
子供の頃の記憶を辿っていくと必ず思い出す光景であり、穏やかに
射し込む日の温もりや、布団のやや埃っぽい匂いまで、いつでも鮮
やかに思い起こすことが出来るのです。
『子どもの頃の思い出は本物か ~記憶に裏切られるとき』
カール・サバー著 化学同人
本書にはこうあります。
“子どもの頃の記憶を形づくっている、未発達で不正確なたくさん
の記憶の断片を対象に研究を進めるうちに、本当の意味で「正確
だ」といえるような記憶など、人生のどの時点においても存在し
ないと科学者たちは考えるようになってきた。
・・・1930年代にフレデリック・バートレットの先駆的な研究が
行われて以来、記憶というものは再構成であり、再現ではないこ
とを科学者たちは示してきた。再構成の過程にもいろいろあるこ
とが明らかにされてきた。そもそも、思い出した出来事がいつ起
きたのか、時間的な枠組みのなかに正しく位置づけることさえも
再構成なのだ。
・・・私たちは自分が何者であるのか、また自分がどうありたい
のかという、自分が持つアイデンティティや理想像の輪郭に沿う
ように記憶を形づくっていく。”
私が人生最初の記憶として覚えている冒頭の場面も、実際にあった
出来事を正確に表わしたものではないと考えなければいけないのか
もしれません。
それどころか、私の鮮明な記憶が示唆しているのは、自分自身の、
「胎内回帰願望」であるような気さえしてくるのです。
自分の中に残されている過去の記憶が、自分のアイデンティティや
理想像に沿って修正されたものであるとすれば、記憶を辿ってその
断片を紡いでいくことで確認できるのは、自分が真に望む未来の像
なのかもしれません。
都合よく改ざんされた過去の思い出は、どれもがどこかせつなく、
そして甘酸っぱく香るのです。