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こだまする日々

こだまがこだましている日常を描いていきたいです。

喜びも悲しみも、苦しみも楽しみも、全部ひっくるめて。


騒然としたあの熊本地震から、もう4ヶ月。

4ヶ月の間に被災した人たちの中に

止まったままの時間でいる人は少ない。

それを表すように、熊本では今日8月19日現在で

避難所の数が29ヶ所になったという。


なったという、なんて遠まわしな言い方をしてしまうと変だけど

地震直後は855ヶ所もの避難所の数があり

それだけの凄惨さを、数だけで物語っている。


※熊本日日新聞より抜粋〜


この轟地区というところで避難所の管理を

奈良のボランティアの方々から引き継いだのが、こだまたち。

それが1ヶ月半ほど前。


ボランティアの方たちも2週間ほどで交替のようなシステムで

日数を数えてみると

避難している人たちと1番長い時間をかけての交流ができたわけだけど

それでも奈良の方たちは、その時間なんて比べ物にならないほど

たくさんの優しさを与えてくれていた。


今日こだまのいた避難所で最後のシフトに入れていただいて

避難所の最後の片付けをしている中(まさかの2人のみ)

奈良の方々が残してくれていた資料を見ていたら、少し涙が出た。

150人を超える避難人数が書いてあり、

こだまたちが引き継いだ時は30人強という状態とは違うのに

事細かに避難者の状況や出入簿の記入がしてあった。

泊まり込みでずっと、やってくれていたことを実感した。



それはそうと、今日…

当日の朝なんていつもと変わらず

同じように掃除をして

同じように避難者さんの検温をしたり

体調悪くないか聞いて回ったり…

いつの間にか7人という少ない数になっていた。


9時頃に職員の人がバンに荷物と避難者さんたちを乗せ

走潟地域に、バンは走り出した。


こだまともう1人のスタッフは、大きく手を振って見送った。

その後、片付けに入る。





ダンボール素材で作ってある仕切り。

ここに布をかぶせて部屋を区切る。







布を外した後は本当に吹き抜けで

寂しい気持ちが増す。

こう見るといろんなことに試行錯誤したなぁ。

他の避難者さんと打ち解けれない人を無理にでも引っ張りだしたら

最後の方は、ご飯一緒に食べれるようになってたり。


扇風機を設置する時も、夜起きて歩いてる人や

おじいちゃんおばあちゃんがコードに引っかかって転ばないように

コードをガムテープで地面に貼り付けたり。

生ゴミ専用のゴミ箱の蓋に取っ手をつけたり

蓋を外したりしなくていいようにガムテープを貼り付けて

ゴミ箱・改を作ったり。

壁にかかってる見守りっちがどこに売ってあるのか調べてあげたり。

仮設トイレまでの道が暗いのでライトを設置したり。

いや、もうなんか本当に語れば語るほど出てくる。

特に最初なんて試行錯誤そのもので。

何をしていいか分からずに奔走していた。


こだまの描いたゆるいキャラが

避難者さんや、ボランティアで来られる職員さんに

大ウケしていたり。

あれがきっかけでみんなと仲良くなり始めたところがあったのかも。


そんなこんな紆余曲折、無事に閉鎖に至りました。

ただ、まだ悲しいことに余震は終わっていないようで…。

阿蘇の方で震度4。

こんな日に、なんだってこうなんだ。

遠いのもあるし、こっちは少しの揺れだったけど。

普通に送り出してあげたかったのに、

今日くらいは揺れないでほしかったなぁ。







名も無きヒーローで書きましたが、

この避難所のために様々な人たちが

字の如く、身を削って動いてくれていました。


知らないところで、名も無きヒーローの戦いは続いているのです。

上の方でも書きましたが、奈良の職員さんをはじめ

熊本のために、熊本のことを

熊本のみんなを想ってくれた人

そんなみんなも、名も無きヒーロー。


本当にありがとうございます。


轟地区の避難所は終わりましたが

その地域の最後の避難所がもう一つあるので

そこにもこだまはお手伝いにいくことになりました。


仮住まいさえ決まらなかった避難者さんはみんなそこへ行ったので

またみんなとお話できたらいいなぁ。


こだまの戦いも、もうちょっとだけ続くのです。