「いつかはスワン」ではなく、いつまでもアヒル![]()
私は断言する。真の芸術家は醜いものだ。喫茶店のあの気取った色男は、にせものだ。アンデルセンの「あひるの子」という話を知っているだろう。小さな可愛いあひるの雛の中に一匹、ひどくぶざまで醜い雛がまじっていて、皆の虐待と嘲笑の的になる。意外にもそれは、スワンの雛であった。巨匠の青年時代は、例外なく醜い。それは決してサロン向きの可愛げのあるものでは無かった。
ーー太宰治さん「十五年間」より。
しかし、アンデルセンの「あひるの子」ほどの「天才の作品」も、一つもないようだ。
ーー太宰治さん「如是我聞」より。
長ずるに及んで、いよいよこの犬の無能が暴露された。だいいち、形がよくない。幼少のころには、も少し形の均斉もとれていて、あるいは優れた血が雑じっているのかもしれぬと思わせるところあったのであるが、それは真赤ないつわりであった。胴だけが、にょきにょき長く伸びて、手足がいちじるしく短い。亀のようである。見られたものでなかった。そのような醜い形をして、私が外出すればかならず影のごとくちゃんと私につき従い、少年少女までが、やあ、へんてこな犬じゃと指さして笑うこともあり、多少見栄坊の私は、いくらすまして歩いても、なんにもならなくなるのである。
ーー太宰治さん「畜犬談」より。
私は、と言えば、今はこんなにみすぼらしく、見るに耐えなくとも、いつかは輝くのだ、大成するのだ、と自分に言い聞かせてきたのだが、どうやら、自分にはそんな器はないようだ![]()
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悲観しても仕方がない。私は私に出来ることをするしかない。私は私に出来ることを精一杯やるしかない。そうやって、道を拓いていく、というか。そうやって、畑を耕していく、というか。
歯が、ぼろぼろに欠け、背中は曲り、ぜんそくに苦しみながらも、小暗い露路で、一生懸命ヴァイオリンを奏している、かの見るかげもない老爺の辻音楽師を、諸君は、笑うことができるであろうか。私は、自身を、それに近いと思っている。社会的には、もう最初から私は敗残しているのである。けれども、芸術。それを言うのも亦、実に、てれくさくて、かなわぬのだが、私は痴の一念で、そいつを究明しようと思う。男子一生の業として、足りる、と私は思っている。辻音楽師には、辻音楽師の王国が在るのだ。
ーー太宰治さん「鷗」より。
いつの日か
スワン夢見て
羽ばたくも
あわれ我が身は
一羽のあひる
さなきだに
みすぼらしき身を
ひきずりて
さなぎになるも
さなぎのままで
あす蝶に
なること夢見
蛹化する
「どうかしてる」
の声振りほどく
歩むほかなし
歩む歩
かなしとんぼ
コンドル飛んでく
