生きるという事は、たいへんな事だ。あちこちから鎖がからまっていて、少しでも動くと、血が噴き出す。
ーー太宰治さん「桜桃」より。
鎖につながれたら、鎖のまま歩く。十字架に張りつけられたら、十字架のまま歩く。牢屋にいれられても、牢屋を破らず、牢屋のまま歩く。笑ってはいけない。私たち、これより他に生きるみちがなくなっている。いまは、そんなに笑っていても、いつの日にか君は、思い当る。あとは、敗北の奴隷か、死滅か、どちらかである。
言い落した。これは、観念である。心構えである。日常坐臥は十分、聡明に用心深く為すべきである。
ーー太宰治さん「一日の労苦」より。
芸術家というものは、つくづく困った種族である。鳥籠一つを、必死にかかえて、うろうろしている。その鳥籠を取りあげられたら、彼は舌を噛んで死ぬだろう。なるべくなら、取りあげないで、ほしいのである。
誰だって、それは、考えている。何とかして、明るく生きたいと精一ぱいに努めている。昔から、芸術の一等品というものは、つねに世の人に希望を与え、怺えて生きて行く力を貸してくれるものに、きまっていた。私たちの、すべての努力は、その一等品を創る事にのみ向けられていた筈だ。至難の事業である。けれども、何とかして、そこに、到達したい。右往も左往も出来ない窮極の場所に坐って、私たちは、その事に努めていた筈である。それを続けて行くより他は無い。持物は、神から貰った鳥籠一つだけである。つねに、それだけである。
ーー太宰治さん「一燈」より。
義兄と、両親から前の前の勤め先を首にされて一年が経過したが、「大槻流通サービス」とネット検索をかけると、未だに代表者名が「大槻明宏」となっているものがある。
私が自らすすんで「大槻流通サービス」を辞めたのなら、引き継ぎなり後始末なりする義務もあろうが、人を追い出しておいてこの不作為はなんなんだ
私が在籍中に連帯保証人となった契約も、今は在籍していないし、役員報酬も勿論貰っていないし、退職金的なものも貰ってないのに、現在の代表者が連帯保証人になればいいものを、その変更もしてもらえていない
この不作為は、なんなんだ
あるとき、弁護士さんに相談したら、「(経営者・代表取締役が変わってるのに)連帯保証人が変わってないなんて話は、聞いたことがない」と言われたし、法律に詳しい方に聞いても、同様の回答を得た
けれども、それと同時に「連帯保証人になるかどうかは本人の意思次第」という回答もまた、複数の方から得た
そもそもが、私自身が「社長」になる器ではないのに、その役割を引き受けてしまったのが悪いのであって、因果応報、自業自得と言えばそれまでの話なのかもしれないが、しかし、私を追い出しておいてこの扱いは非道いのではないか、とも思ってしまう
いろいろ愚痴ってしまったが、こういう重荷も、まあ、ないものとみなして、心頭滅却して、前向きに生きるしかないのだろうか
籠の栗鼠(リス)
走れど走れど
地を走れず
いっそ籠ごと
走ってやろうか
北京でも
西京でも
東京
でもなし動けは
すれど自由なし
羽ばたけど
空は飛べない
籠の鳥
いっそ籠ごと
飛んでやろうか
【ポール・サイモンさん「僕のコダクローム」】
https://youtu.be/mss4rumviPM?si=h7iHrXL-NQzyNGgp
【「翼を授ける」で有名な】
【「籠は栗鼠に入っている」収録】