上記リブログの記事より、私は西行さんの
春風の花を散らすと見る夢はさめても胸のさわぐなりけり
という和歌の存在を知った
上記リブログ記事内で林誠司さんは、
春風が桜を散らしている夢は、目覚めた後も胸のときめきがやむことなく続いている。
と解しておられる
「夢」、「ときめきがやむことなく続いている」、というワードから、松尾芭蕉さんの俳句、
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
を連想した
松尾芭蕉さんが、自身に「花咲か爺さん」を感じたとは思えないが、松尾芭蕉さんの俳句を【超訳】したら、こうだろうか
歌の偉大な先人であり、人生の偉大な先人であり、旅人としても偉大な先人である西行さんのあとを追いかけるように、私もまた蓑虫よろしく旅装を調え、旅に取り憑かれた者の一人だ。
蓑虫だった私は今、一匹の蛾に変じ、一面、枯野であるはずの冬の木々に花を咲かせ、花が舞うその只中を、飛び回るーーちょうど、偉大な先人、西行さんが詠んだ和歌の世界を飛び回るように。ーーそういえば、西行さんの和歌には蝶を詠み込んだものがあったな、私は蝶には遠く及ばない、しがない蛾ではあるが。
(松尾芭蕉さんの、西行さんへのリスペクトが生んだ俳句として解釈してみた)
【その他、参照記事 「回文とチョウのブログ」】
https://ameblo.jp/mjt-5933/entry-12712955959.html