「。」が終止符なら、「、」はスプリングボード、 | てんぱりまっくす~あるいは、スクナビコナ~のブログ

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一度ツイッターに浮気しましたが、やはりこちらのほうが落ち着くようです。

ただいま(/-\*)

アフォリズムならぬアホリズム


「。」が最後に打たれる終止符なら、「、」は発展途上のスプリングボード、


触発されての作歌四首


【俵万智さん「マルハラ」「おばさん構文」に秀逸の短歌で私見「優しい日本語大事ですね」と共感の声】

https://hochi.news/articles/20240208-OHT1T51065.html


上記記事を参照して、作歌しました爆笑


「文法」で丸く治めるための「。(丸)」

若者の目には「×(ばつ)」に見えてる



「。(丸)」でなく、「、(点)」を最後に置いてみりゃ、会話続ける意志示せるかな、



切られると「。(丸)」で会話が続かない「嫌い」の語源は「切る」から来ている



若者の気持ちは「。(丸)」でわからない数学の中のX(エックス)みたい


コンビニのトイレに入ると、「トイレをキレイにお使いいただいて、ありがとうございます爆笑」みたいなフレーズに出会う。

普段からキレイに使用している人からすると、「どういたしましておねがい」と思うだろう。

普段からキレイに使用していない人からすると、「キレイに使えよ、この野郎プンプン 汚したらキレイにしてけよプンプン」みたいに受け取るだろう。

若者の心理はおじさんには理解不能ではあるが、これに近い現象が【おばさん構文】において起きているのかもしれない🤔

知らんけど真顔ネガティブ魂が抜ける昇天オエー



おまけ、


贅沢が禁じられた江戸時代、人々は、表向きは地味な服装を身にまといながら、その実、裏地には鮮やかな紋様をあしらい、ときの権力者に対して粋な反抗をしていた爆笑


戦時下の太宰治さんの文章には、これに近い心意気が込められていた、と個人的には思っている爆笑


ときの権力者の「言葉遊び」を逆手に取り、自らも「言葉遊び」で権力者を批判する、粋なサーヴィスだった、と飛び出すハート


何かと息苦しい/生き苦しい昨今、太宰治さんの文章を応用したい、という思いはあるのだが、なかなか実践では使いこなせないのがもどかしい爆笑


恨みても

裏見は見せぬ

墓場まで

書く仕事/隠し事こそ

和紙の楮/我が身の業ぞ