諸君は音信をきらいであろうか。諸君が人生の岐路に立ち、哭泣すれば、どこか知らないところから風とともにひらひら机上へ舞い来って、諸君の前途に何か光を投げて呉れる、そんな音信をきらいであろうか。彼は仕合せものである。いままで三度も、そのような胸のときめく風の便りを受けとった。ーー太宰治さん「猿面冠者」より。
ん 来年じゃなくて
今年も残すところ、あと、10日を切った
このタイミングで、#今年のお願い事かあ
お願い事、というか、「理想」としての心のあり方は、
北風よりも太陽になりたい
罪を憎んで人を憎まず
汝の敵を愛し、憎む者の為に祈りなさい(そうすれば神は、敵や憎む者の上に怒りを降らすだろう)
といったところにあるが、どうやら私は、そういった心境からは程遠いところにいる
私はワクワクして郵便物を待つ
いつか幸せの便りが来るような気がしてならないのだ
が、……
幸福の便りというものは、待っている時には、決して来ないものだ。決して来ない。友人を待っていて、ああ、あの足音は? なんて胸をおどらせている時には、決してその人の足音ではない。そうして、その人は、不意に来る。足音も何もあったものではない。全然あてにしていないその空白の時をねらって、不意に来る。不思議なものだ。ーー太宰治さん「正義と微笑」より。
そう、「幸福の便り」というものは、待っているときには全然来ない
かえって、「不幸の便り」が今日届いた
込み入った話なので詳述は避けるが、例の、長く勤めた会社絡みの厄介事だ
犯人は義兄で、この人はいったい、どれだけ私の首をしめたら気が済むのだろうか
私は警察署で義兄にされたことを相談したが、私の父は義兄のことを警察沙汰にしないでくれと言って来ているので今日その場では義兄を処罰して欲しいと明言はしなかった
しかし、あの人の父親は人格者だったのに、何をどう間違えたら、あんな人間になるのだろう あんな人を父親に持った姪っ子が可愛そうでならない
私自身の行動によって義兄に何らかの罰がくだるものなのか、それはわからない
せめて、あの人の上から金だらいでも落ちてきてくれたら、どんなにか胸がすくだろう
男はやっぱり最後は、腕力にたよるより他は無いもののようにも思われる。口が達者で図々しく、反省するところも何も無い奴には、ものも言いたくないし、いきなり鮮やかな背負投げ一本くらわせて、そいつのからだを大きく宙に一廻転させ、どたん、ぎゃっという物音を背後に聞いて悠然と引上げるという光景は、想像してさえ胸がすくのである。ーー太宰治さん「花吹雪」より。