43年前の1980年5月5日付の朝日新聞(以下、広告はすべて同紙から)に、オフコースがその年の6月に初めて日本武道館で開いたコンサートのチケット発売告知が掲載された。その日が発売日だった2枚組のライブアルバムの告知も兼ねている。スポーツ面の一番下という掲載面は82年6月の武道館ライブの告知と同じ。往復はがきによる申し込み制で記入見本まで図示しているのも82年のライブ告知に先駆けるものだった。応募はがきは約12万5千通だったという。
前年10月から2月にあった秋のコンサートツアー Three and Two に続き、5月1日に始まった春のコンサートツアー 生まれ来る子供たちのために のファイナルということだが、広告にツアータイトルは一切記されていない。それはともかく、こんなに大きな広告を打てるようになったのも、前年末に発売されたシングル さよなら の大ヒットでブレークしたオフコースが人気バンドとして認知された証の一つと言えるだろう。前年8月に田園コロシアムであったオフコース初の野外ライブのチケット発売告知(79年6月1日付)の大きさとは違いが歴然としている。
初の武道館ライブの広告は実は東日本でしか掲載されていない。中学、高校生や大学生ら多数派であっただろう当時のファン層のことを考えれば遠征は現実的はでなく、ライブ会場の日帰り圏をターゲットに広告を打つのは普通だろう。82年の武道館公演の広告も東日本だけの掲載だった。同じ春のツアーで80年6月に大阪・フェスティバルホールであった公演の広告(80年5月9日付)も関西圏の紙面でしか掲載されていない。広告が小さいのは広告会社や新聞社側の都合だと思われる。こちらはThree and Two ツアーの追加公演のように記されているのが不思議。
当時、こうしたライブの告知の主流は新聞なのか、音楽雑誌なのか、ラジオなのか、はたまたレコード屋に置かれていたチラシやポスターなのか、どうだったのだろう。年4回発行されたファンクラブ会報には先々のライブ予定とイベンターの連絡先を載せたカレンダーのページがあったが、この初の武道館ライブに間に合う「79年冬の号」あるいは「80年春の号」は自宅に置いてあるので未確認。臨時増刊として折り畳みのチラシやハガキで告知される場合もあったようなので、ファンクラブに入るような熱心なファンは手抜かりなく情報を入手していただろう。
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【6日の備忘録】
休肝日1日目。朝=ご飯1膳、山椒じゃこ、リンゴ、昼=肉野菜旨煮丼、ミニトマトと茹でブロッコリー、夜=トルティージャ。体重=60.4キロ。