続・小田さんの MARTIN D-41 | IN THE WIND

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Don't think twice, It's all right !

記事タイトルの頭に「続」とつけたので、最初の記事のリンクをまず貼っておく。それにしても、4年半ほど前の記事の続編を今になって書くとは思いもよらなかった。

 

さて、オフコース初期の2人時代、小田さん、YASSさんの2人とも MARTIN D-41 というギターを弾いていた。小田さんが今メインで使っている D-28 よりは少し高級機種にあたる。そのD-41は小田さんが鍵盤を弾くようになり、さらにバンド編成になってからはステージやレコーディングでは使われていなかった。そしてある時盗まれて行方不明になっていたのが、長い時を経てひょっこり戻ってきたというエピソードがある。ただ、僕にはその詳しい経緯はまったくわからなかった。

 

そのD-41行方不明事件のあらましが、ひょんなことから明らかになったのだ。オフコースのメンバーだった松尾一彦さんが2009~2018年に Untitled というオフィシャルマガジンを毎年2冊ずつ発行していた。一昨年秋ぐらいから少しずつ復刻販売されているのだけれど、先日2017年6月発行の第17号が届いた。マガジンにはオフコースのドラマー、大間ジローさんの高校の同級生で、オフコースの楽器管理やマネージャーを務めた富樫要さんのエッセイが連載されていて、そこに行方不明事件の顛末が書かれていたのだ。

 

そのエッセイによると、1985年の The Best Year of My Life ツアーのころの話。小田さんのD-41はステージやリハーサルで使われることはなかったけれど、ツアーで使う機材の中に見た覚えがあったという。それがある時から見なくなったので、富樫さんは小田さんが家に持って帰ったと思っていたという。そうしてある日、小田さんからD-41の所在について聞かれて、小田さんが持って帰っていないことが判明。探すことになったがそのまま時に紛れてしまい、小田さんもD-41について口にすることはなかったという。

 

そして20年近く過ぎた後、そのツアーで舞台監督補をしていて、マーチンギターのフリークだったMという人物のブログに小田さんのD-41が登場したという。そのD-41は富樫さん言うところMの子分であるYがMに譲ったそうだ。そのブログを偶然目にした小田さんの関係者(エッセイでは小田さんのイエスマンK君とされている)が小田さんに知らせたという。結局、そのMから小田さんがD-41を買い戻したというのが経緯らしい。要するにYが小田さんのD-41を失敬したという話に思えるのだが、そこまでははっきりと書いていない。

 

戻ってきた時期については前の記事でも触れたけど、 2003年4月発行の マーティンD-28という伝説 (枻文庫)という本に掲載された2003年1月のインタビューで小田さんが 最近になって盗まれた41が出てきた と語っていて、前年の クリスマスの約束 で使用されていたこともわかっている。実はD-41行方不明事件については、小田さんの公式情報紙で募られた質問に出してみたのだが、採用されなかった。小田さんにとっていい思い出ではなかったからか、はたまた傷つく関係者がいるのを慮ったのか。

 

それにしても、MやYがそのD-41を入手した経緯は不明確なまま。ブログの記事の内容もわからないし、小田さんがギターの写真を見ただけで自分のギターと分かったのか、ギターのシリアルナンバーまで書いてあったとしても、小田さんもナンバーを手元に残していないといけないし、まさかブログには臆面もなく小田さんが使ってたギターとでも書いていたのだろうか。そんなわけで長年の疑問が大方解消したけれど、まさか松尾さんのマガジンに答えがあったとは思いもよらなかった。オフコースはやっぱりどこかでつながっている。

 

小田さん、YASSさんのD-41については2017年9月にも記事を書いているので参考までに。

 

【29日の備忘録】

休肝日3日目。朝=ご飯1膳、塩サバ、リンゴ、昼=ジャコとキノコのオイルソーススパゲティ、夜=牛肉とダイコンのあっさり炒め。体重=58.4キロ。