YASSさんが語るヒストリー(その2) | IN THE WIND

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YASSさんこと鈴木康博さんが自身のヒストリーを語ったラジオ番組 鈴木康博 メインストリートを突っ走れ! の10月下旬~11月上旬放送分からの2回目。ちょっと長くなるけれど、今回は高校時代からプロデビューの頃までを抜粋してみる。

 

高校生の時に学園祭で卒業する前になんかぶちかましてやろうっていう。先輩がいたんです。4人組の男声コーラスをやって、ちょっと黒人霊歌っぽい曲をかっこよくやったんですよ。それに勝る何かを残していこうか、この学校にっていうんで。まだ3期生なんで、学校のね。歴史が始まったばっかりなんで、なんか足跡残そうということで、受験校だったんですけど、学園祭の時にそういうフォークソングみたいなのも流行り始めたんでね、じゃ、やってみようということで4人組で始まりました。ブラザースフォーを歌いましたね。ブラザースはベース、ギター3本でありましたけど、ベースとかないからギター4本ズラッと並べて、ただ立ちん坊で歌ったと思います。

 

今思えば、何にも面白くなかったんじゃないかと思うんですけど(笑)、でも当時としては珍しかったというだけでね。それから学校でそういうことをやるということ自体の珍しさ、だって学校にギター持ってきちゃいけないという時ですからね。ギターなんか弾いてると不良なんて言われて勉強しろ、というほうですから。英語の歌なんで、校長先生がたまたま外人の、いわゆるクリスチャンの学校だったんで、牧師さんが先生だったりしたんで、その人にかけあって、カレッジフォークなんですよね、ブラザースフォーって。反戦歌と言ってもすごい軟らかい反戦歌で、向こうの大学でもやっていることなんで「いいんじゃないの」っていうことで。

 

日本の先生方には大反対されました。だけど、とにかくやりたいからって、まぁ、やりなさいということで、やったところが、最初教室でやったんですけど、教室でやっているうちに評判になっちゃって、それじゃ閉会式があるから、いや、開会式があるから、午前中にね、開会式の前にやりなさいってやったんです。そこで受けちゃってアンコールが止まらなくなっちゃって、じゃ、閉会した後にもう1回やりなさいって、で、大受けしたんですね。そこで受けたのが間違いですね。思い込みといいますか。オレたちうまいかもしれないって思っちゃったんですね。

 

そこでライトミュージックコンテストへ、大学行っている最中に4年間あるんですけどね、大学生って休みが長いわけですよ。その休みの時に、友達30人ぐらいと、僕ら4人は、あっ、3人なったんですね。僕ら3人は歌う係、ほかのみんなはチケットを作ったりデザインしたり、パンフレット作ったり、チケットを売り歩いたり、そういう役目がそれぞれあって、仲間でコンサート開いたんですね、毎年のようにやりました。その学生時代の思い出にということでライトミュージックコンテスト、先のことなんて全然考えてないですよ、ライトミュージックコンテスト受けようっていうことで出たんですね、東北の方から。小田ともう一人地主っていうメンバーの人が東北大学だったんで、じゃ仙台から出ようという話で。東京はホントうまい奴がいっぱいいるからきっと。手薄な仙台から行こうっていうことで(笑)、そこ攻めたんですよ。

 

一応東北代表になって東京出てきて、って言うか東京帰ってきて、そいで、赤い鳥というすごいグループがいたんですね、上に。財津和夫というチューリップの連中も同じライトミュージックコンテストに出場しておりました。とにかく赤い鳥が抜群にうまくてですね、オフコースは次点だったんですね。そこでも勘違いしたんですよね。赤い鳥はめっちゃくちゃうまいけど、なんか手が届かない距離じゃないと。めちゃくちゃプロっぽかったんですよ、赤い鳥、もうアマチュアのころから。パフォーマンスもすごいし。いや、パンフォーマンスも考えてやってるんですよ、音楽的なこと、歌がうまいとかそれだけじゃなくて、ステージとして、例えば30分だったら30分のステージをちゃんとやるっていう。出来上がっているんですよ、ホントに。ライブもたくさんやってるしね。僕らもライブやってるけど、しゃべりとかそういうパフォーマンスのことまで考えてない、歌で音楽的にちゃんとやっていればいいんじゃないのみたいなところだけで終わってる感じなんで。

 

そういう意味じゃめちゃくちゃ差があったんですけどね、今思うと。でもなんか、もうちょっと勉強してなんかすれば手が届くんじゃないかなっと思って、ちょっとそれが勘違いだったんですけど。で、次点だったんだけどヤマハの方からプロデビューしない?みたいなことで、ヤマハの曲をまぁ歌わされた感じですね。赤い鳥の方は「翼をください」、それから「竹田の子守唄」のカップリングかな、めちゃめちゃ売れちゃってね。「群衆の中で」という曲で僕ら歌ってレコーディングして、テレビとか「ヤングセブンツーオー」なんて番組があって、朝ちょっとロケとかしたりしてねアマチュアなのに。羽田空港なんか走ってるような、どういうプロモーションビデオだかよくわかりませんけど、なんで走ったんだかわかんないみたいな映像で出ましてね。で、全然鳴かず飛ばずで、というデビューでありました。

(引用ここまで)

 

60分の番組に収めなきゃいけないから、話が駆け足になってしまっているうえ、実際の収録ではもっとたくさんしゃべっているのを編集しているようなのが惜しい。やっぱり、当時小田さんとはどんな話をしたのかとか、もっと具体的なエピソードを知りたいという思いは抑え難い。聞きたいことを引き出してくれるインタビュアーがいてくれたらと重ねて思わずにはいられない。

 

番組のオンエア局は番組公式ツイッターのプロフィールに表示されている。

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https://ameblo.jp/tenotookaoka/entry-12546238170.html (1回目)

 

【18日の備忘録】

休肝日1日目。朝=ご飯1膳、肉じゃが、リンゴ、昼=ご飯1膳、肉じゃが、夜=豚肉とレンコンの炒めもの。体重=61キロ。