伝統文化というセンス

 

十月に入れば、豊穣を祈願した伝統文化のお祭りが行われます。中でも長崎くにち、唐津くにちは有名です。日田では、天瀬のくにち(五馬、本城、出口、袋)や石井神社のくにちなど、そして西有田のかっぱ祭りなどが行われます。

 コロナ以降、今年の開催がどうなっているのか、気になりますが、十年前に聞いた話では、後継者不足や、昔は決まった日に行われていましたが、日曜日に開催されるなど、社会の発展とともに、流れも変わっています。

  大切なことは、歴史、文化・伝統の上に、この日田の生活やまちづくりや教育があること。例えば、公共施設にカタカナ文字が使われたり、都市名や選挙の名前に、ひらがなを使うのは、私は文化的、生き方的センスがないと思う。

明治に入って、西洋文明の対応で、日本を支えたのは「教育」と「文化の独立」を保ったこと。もしこの文化の独立が保たれていなかったら、今の日本ではなかったかもしれない。渋沢栄一は、それを知っていました。守ることと守れない事を、きちんと分けて対応していたのです。

日田のお祭りは、多いという話を聞きますが、渋沢センスだったら、日田の文化の多様性だから、大切にしなさいと言うだろう。

明治の時代始めに大切にされたのは「文化の独立」・「教育」・「人材の活用」だった。しかし、この教育は、産業を育成する為のもの。今の大きな変革期には、合わなくなってきているとアメリカの経済学者は言う(NHKスペシャルでの放送)  

歴史好きな私にとって、今から二十年かけて、子ども達に、日田の伝統と文化という教育センス(私的には、防災という文化も入れてみたい。文化とは学び伝える意味)を磨き悟ってもらい、三十年後に、この日田を輝かせて欲しいと思う。江戸の鎖国じゃないけど、日田の空白の三十年があってもいいと思う。覚悟を決めてみてはどうでしょ。渋沢だったら、日田各地の伝統文化(歴史は消せないけど。ある意味伝統と文化は消すことができる)が崩壊したら、それは、日田が日田でなくなるのよ。それでもいいの?って言うだろう。