邪馬台国の行きつく先は・・・・・この国のために大義を抱け。
     江戸から明治に入り、重要だったのが、「文化の独立」である。西洋の技術を受け入れるのに、ある国は、母国語を捨て、英語にしてしまうという事をやってしまう。しかし、日本は、この国の「文化の独立」を守り通した。


     邪馬台国の行きつく先は、この国の歴史、文化、伝統を尊重して、新しい時代へとつなげていくという、使命ではないだろうか。日本の教育は、産業を目的とした教育制度をつくり、発展していく。しかし、今、その教育も、時代に合わず、大きな変貌をしないといけない時期を通り越している。


     今の日本が学ぶのは、この、明治だという声もある。江戸の鎖国から、西洋を受け入れ、また大戦を過ごし、今、経済発展して行く中で、この国の伝統と文化は失われつつある。神戸震災、東北震災そしてコロナがあったのに、何も変わらなかった。私が首相だったら、20年後の新しい国をつくるために、空白の20年と言われようが、今の子どもにかけてみたい。

 

 その教育とは、産業でなく、この国の伝統と文化を尊重し、地球と共生し、多神教的な、この国を知るという事ではないか。そういう「センス」を磨くことが、未来エネルギー革命や生き方、政治や教育ににつながってくる。国の未来を悟るには、この国を知らなければならい。諸外国を悟るには、この国の歴史と文化と伝統を知らなければならい。邪馬台国は、共立と女神という、この国が本来の姿を伝える、未来へのプレゼントではなかろうか。


     私は、そう思う。邪馬台国は、永遠に答えはでない。もちろん、神話も神社伝承もそうである。それより大切な大義があるかもしれない。