こんばんは、ジュンです。
先日、東京ドームシティーのイルミネーションを見に行った日、
実は、とても重い映画 【 カティンの森 】 を観に行っていたのです。
暗く沈んだ気持ちを晴らすために、神保町からドームシティーまで、
冷たい冬の空気に身を晒しながら、トボトボと歩いた管理人でした・・・
1939年、9月。
ポーランドは、西からナチス・ドイツ、東からソ連の侵略を受け、
国が分割占領されてしまう。
この時、ソ連側では多くのポーランド将校が捕虜となった。
西側のクラクフから夫のアンジェイ大尉を探しに来た、アンナと娘のニカ。
夫には巡り合えたものの、目の前で収容所へと送られてしまうのだ。
アンジェイ大尉は、捕虜となって目撃したすべてを手帳に書きとめようと決める。
ソ連領に残されたアンナとニカは、1940年の春、どうにか国境を越え、
アンジェイの実家へたどり着くが、
義父はドイツ軍に逮捕され、収容所ですでに亡き人となっていた。
アンナは義母と娘と3人で、アンジェイの帰りを待ち続ける。
そんな中、1943年春、侵攻したドイツ軍はソ連領のカティンで、
多数のポーランド人将校の遺体を発見したと発表する。
犠牲者リストにアンジェイの名前がなかったことに望みをつなぎ、
夫の帰りを待つアンナだったのだが・・・
1940年に行われた、ポーランド将校に対するソ連軍の大虐殺、
『 カティン事件 』 を映画化した作品である。
監督のアンジェイ・ワイダ氏自身の父親が、この事件の被害者となっており、
監督が、この史実をこの世に残しておくために撮った作品といってもいいのではないだろうか。
この作品では、事件で虐殺された犠牲者よりも、
残された家族に焦点を当てて描かれている。
わずかな希望を持ちながら、待ち続けるその想いは、
ワイダ監督自身の気持ちだったのだろう・・・
ドイツ軍によって発見されたこの虐殺の事実も、
ソ連軍の占領により、ナチスドイツによる犯罪として嘘で歪められてゆく。
実際は事実を知っていながらも、ソ連の統括下で生きてゆくためには、
それを受け入れていかなければならない現状・・・
この事実が公になったのは、冷戦も終わり1990年代に入ってから。
それまでの時間、ポーランドの国で苦しみ続けいたということを知り、
もう、このような映画を残さなければいけない争いは、
二度と起こしてはならないと、心のそこから思うのだ。
終盤、カティンの虐殺の模様が流される・・・
まるで、工場のベルトコンベアーで作業をするように、
一人ずつ狭い部屋に連れ込まれ、後ろ手に縛られ、頭を打ち抜かれる。
そのまま小窓から外へ放り出され、トラックの荷台へと積み上げられる。
小部屋では、流れた血をバケツの水で洗い流し、また新たな人間が連れ込まれる。
こんな行為を、戦争は人にさせてしまうのだ。
この衝撃的な映像が突然終わったあと、
無音のまま、真っ暗な画面にエンドロールだけが流れ続ける。
音楽も、ナレーションも一切排除した、白い文字・・・
それが、監督がこの時代にささげたレクイエムなのではないかと、思った。
戦争によって残された家族の苦悩は、とても伝わってきたのだが、
後半になって出てくる何組かの犠牲者の家族達の人間関係が、分かりにくい。
おそらく、苦悩する家族の姿や、ソ連の抑圧を描くための手段なのだろうが、
あまりにも突然登場してくるので、ストーリーをつなげることに一生懸命になっていると、
次の話に移ってしまい、また、分からなくなる・・・
初めて見る俳優さんばかりだと言うことも、原因かもしれないが、
ここのところを、もう少し分かりやすくして欲しかったと思う。
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最近、映画によって知ることの多い戦争時の事実・・・
目を逸らしてはいけないことが、まだまだたくさんあるのだと、
改めて心に刻む管理人なのです。