気にいらない人が
思惑どおり落ちた喜び…
その人に勝ち誇った喜び…
単なる一時的な優越感の喜び…
しかし、
それは本当の喜びと言えるのか?

人間は誰かに褒められた時に
悪い気をする人はいない
でも、
それが薄っぺらいうわべたけなのか
それとも心底それを感じ口に出す
のかなどは
本人にしか分からない
特に有頂天の自分には…
真に受けて利用される人間もいれば真意を探ろうとする人間もいる
毎日、誰かと関わるということは
ある意味それぞれ懸命に
生きているということでもある
自分以外の人間を疑心暗鬼で観る
思考は疲れるというしかなく、
嫌でも毎日の生活が戦いとなり、
毎日の人間との関係に癒しという
言葉などそこにはない
ただ目の前の関係を
繕っているだけで
それが生きている中での
苦痛や修行と勘違いする(したい)
そんな中で細やかな幸せを探す…
本当にそうであろうか?
それが本当に正解なのであろうか?
時が永遠に続くとしたら(魂)
そんな狭い領域で
真剣に生きているといえるのか?
本当に好きなもの、
本当に好きな人、
本当の自分という生き物の
その時間を大切に考えている
といえるのか?
ある日、突然に
自分の体が自由を奪われたときに
息を吸い、生命維持のための
食事や点滴…
しかし、自分は生きている❗
でも、
生きるということは
そんなものではない。
生かされていることと
生きることは全く違う意味を持つ
最終的には、
自分はいかに生きたかに尽きる…
生まれた時は
丸裸…
死んだ時も丸裸…
お金も地位もそこには
何の値打ちもない
365日のうち360日
毎日毎日さまざまな事を話して
貴方を1から構築しようと
話したけれど…
私への依存から
離れるために二年近く…
少しずつ少しずつ
私は離れていった
三歩進んで二歩下がったとしても
確実に一歩は前進しているのだから
踏ん張ると信じてました……
最終的には本人次第
逝きついた
今の貴方の景色はどうですか…

サナコに捧ぐ…