現代医学では
これ以上の処置はないと
いわれてしまい、
26歳という若さで難病に襲われ
人生の先行きが見えない暗闇の中、
母親は藁をもすがる思いで
他の対処方法がないのか…
探していたようです。




そして今は、
抗体は消えていないものの
体の痛みもなくなり
ごく普通の生活をされています。



記憶が曖昧になる前に…
初心を忘れないように…
記録としてブログに残すと
少しずつアップされて
おられます。

様々なことがわかりました。

先ずは原因を突き止めないと
正確な対処はできません。

要は
全ては結果なのです。

ブログのリンクは
記事の途中のものですが
冒頭から読み進めて
いただければと思います。

食生活なども大切なのです。

西洋医学・東洋医学…
そして私のような力。
ベストは三位一体の形が
理想的だと改めで
感じました…

当事者は良くなれば方法など
何でもよいのですから。。。



ここ数年のあいだ

お墓のご相談が増えました。 


その背景には、

皆さんの先々への不安が

あるのだと思います。


近年「寺離れ」の加速が

指摘されており、

長年培われてきた伝統や

寺院ごとの形式を急に変えるのは難しいのが現状でしょう。 


ですが、死は万人に等しく

訪れるものです。


孤立無援で旅立つ人

ばかりではなく、

多くの場合は遺族が

その後に残されます。


だからこそ、

大切なのは宗教の壁を

超えることです。





人として故人に対する

本当の意味での尊厳や

感謝の念があれば、

どのような見送りの形であっても、故人はきっと受け入れ、

満足してくれるはずです。


どのような供養の形をとるにせよ、人間はだれしも

「因果応報」

という言葉の通り、

自らの行いの報いから

逃れることはできないのだと

強く感じます。


ただ、これまで私の目の前で

おこった不浄霊との会話の中に

先祖からは「怒り」ともとれる

訴えのほとんどは、

お墓の放置によるものでした。


それらは浄土へ逝けていない

故人自身の因果の現れでも

ありますが、私には切ない

嘆きにも聞こえました。


「生前のお前は、

逝ってしまった人間の苦しみを

和らげるために、心を込めて

供養をおこなったか?」


私がそう投げかけたとき、

返答は生前に気付くことの

できなかった後悔の念から

にじみ出る言葉か、

あるいは

開き直りの怒りの言葉か、


ほとんどがそのどちらかでした。


せめて、お世話になった

身近な人への供養はなされる

べきことなのです。


世話になりっぱなしで

「ありがとう」の言葉すら

感じないのは、

人としての道徳を欠いていると

言わざるを得ません。


形式だけの法要などではなく、

まずは真心を添えることが

一番大切なことなのです。


自分が亡くなったときを

想像してみてください。


例えば、

見ず知らずの僧侶があげる

立派なお経よりも、

自分の子や孫のつたない

お経のほうが余程

嬉しくはありませんか? 


元来の供養とは、

そういうものなのです。


真剣に思考すれば

わかることなのでけれどね。。。


オカルト話がお好きですか?


真実を知れば全ての景色は

変わります


私からすれば

私などよりも

真実を知らない人間が

オカルトなんです…


妄想している人間も

勘違いしている人間も

オカルト、。 


逝ったら自らが

オカルトのネタになるだけ


特に人を欺き利用する

ずる賢い人間やらは

(類は友を呼ぶ)

世界へ移行するだけで

生きていた時のように

誤魔化すことも

できなくなる


楽しみですね~、

他人事なので

私は関係ないけれど…


そんな…

甘い世界でも

次元でもないのです



逝って知ればいい…





人の魂、そして身体が
ひとつの曼荼羅であるならば
それが私の想う
「曼荼羅=宇宙」
であるならば、そこには必ず
漆黒の穴…
ブラックホールがあるはずだ

この内なるブラックホールは
娑婆の世界に響く
魂の不協和音に合わせて
形を変える

だからこそ、
私たちは自らの闇の正体を
知ることができない

なんと厄介で、
愛おしいめまいだろう

それは魂の核に
直結し密やかに
絶え間なく形を変えながら、
私たちを静かに苦しめ続ける

いっそのこと、その蓋を
閉じてしまえたなら
何も迷うことはないのに

けれど、私たちが生きている
限り、
魂という光が
またたいている限り、
その影である
ブラックホールもまた、
永劫に消え去ることはない

光と影、陰と陽

裏と表は、けっして
切り離せない表裏一体

過去の魂が刻んだ記憶の傷を
私たちは誤魔化すことなど
できないのだ

しかし、
未来を紡ぐのもまた、
悲しいかな、この暗黒の穴

その闇が存在することこそが、
明日へと生命を繋ぐための
避けられぬ宿命の関所

…だとするならば
ここは仏教にいう、
閻魔大王の棲家なのだろうか

ブラックホールの先には
極限の闇があり
同時に、極限の光がある

そこは、色彩に満ちた世界

万物の色は
宝石のように艶やかに始まり、
その末尾へ、奥へ、深淵へと
向かうほどに
すべての色彩を融解させて
透明な「無」へと還っていく

それは
すべてを内包した七色の虹

どれひとつとして
欠けてはならない生命の
プリズム

あらゆる始まりがここであり、
空間はゆるやかに湾曲し
美しい「円」を形づくる

円の境界を越えれば
あとはすべて、闇

濃密で、あまりにも深い【黒】


それは
寄せては返す
「水」のような流動体だ

円は巨大な生命体のように
息づいている

その呼吸に合わせ
黒い水もまた、
怪しく輪郭を変える


その黒こそが
宇宙の深淵の色だから

この世に生命として
生まれ落ちた以上、
すべての存在は
すでに色を帯びている

それこそが
惑いと輪郭を持つ
「六道」の世界

だからこそ
ありのままの自然の色に
人間が勝てるはずもないのだ

生命そのものには
本来、形などない

ゆえに
そこには何の差別もない

ただ
この肉体を持って生まれた
瞬間に、宿命としての
「大まかな色」
が決まるのだろう

けれど
私たちが魂の旅路で目指すのは、
あらゆる色を超越した
その末尾にある「透明」

これこそが
菩薩の境界なのかもしれない

傷ついた魂や身体を癒す旅は、
自分だけのブラックホールを、
そっと見つめることから始まる

癒されぬまま
魂がその闇の関所を通り抜ける
とき、色彩はより深く
濁り、濃くなっていく

そして次にこの世へ
生まれ落ちるときにも
その濃い染みは残ってしまう

すべては
そういうことだったのか…

私は深く独り合点する
(これは、私の脳が映し出した根拠なき幻影。あしからず……)
 …2017年記述…

一滴の水滴が静寂の水面に
落ちたとき、そこには必ず
波紋が広がります。

今のネットの情報や、
SNSでの個人的な意見の発信も、まさにそのような波紋と同じです。

勿論、SNSだけでなく
真実もしらないのに
人から聞いた話を
面白おかしく第三者に話す
噂話も同じこと。


様々な意見があるのは
当たり前のことですし、
すべての人に好かれ、
味方になってもらうのは
不可能なことです。。

それでも、
顔の見えない相手からの
批判は一方通行で
相手は何でも言えてしまう……

本当に怖い世の中になったと
思います。

人間である以上、
批判という小さな波紋が
少しずつ大きくなっていけば、
メンタルが持たなくなるのは
当然です。

追い風(強い流れ)に
便乗して人を叩くのは
簡単なことですし、
ましてやSNSで
顔を隠して攻撃する行為は、
卑怯だとすら思います。

どうか踏ん張ってください。
負けないでください。
孤独にならないでください。


明らかな間違いに対して、
恐れずに物申すことが
できる人間は、
今の世の中に絶対に
必要なんです。

敷地600坪の豪邸に住む、
〇代目の資産家。

要するに、
歴史ある家柄の
「お坊っちゃま」です。

さりげなく上質なものを
身にまとい、
それでいて謙虚な雰囲気を
醸し出す人でした。

しかし時折、
大学を出ていない人を
どこか見下すような
発言をするのです。

本物の一流といわれる人は、
学歴よりもその人の
「思考の深さ」や
「内面」を
重視するものですが……。

さらに、
仕事仲間の食事会や飲み会では、お会計のタイミングに
なると決まってトイレに
席を立つことでも
有名でした(苦笑)

毎回のことなので、
その魂胆はすでに全員に
バレています。

それに加え、
心から信頼して話せる友人
もいないようでした。


ある日のこと、
その方と深い話をする機会が
ありました。

会話が進むにつれ、
どうしても我慢できなくなった
私は、ついに本音を
口にしてしまったのです。

「いくら立派な服や車、
 時計を持っていても、
 寝るときは綿のパジャマ。
 好みによってシルク
 だとしても、所詮はただの
 パジャマですよね。

 それに、
 眠るだけなら600坪の敷地が
 あっても一畳あれば十分。
 残りの499坪は
 関係ないですから」

その方は苦笑いしながら、
「確かに……」
と呟きました。

我ながら、
痛烈な皮肉を届けてしまった
と思います。

結局、人はみな平等なのです。

本当に問われるべきは
「心の豊かさ」であり、
孤独に苛まれていないか
どうか。。。

孤独を覚えるのは、
どこかで計算高くなっていたり、自分を繕ったりしている
からかもしれません。

そしてその偽りは、
意外なほど周囲に
見抜かれているものです。

あの世へ旅立つときに
持っていけるのは、
「自分の生き様」だけ。

物質的な富や地位などは、
何一つ持っていくことは
できません。

一日一生❗

毎日を悔いなく
生ききりたいものです。






現代のような
情報過多の時代において、
スウェーデンボルグは
稀代の知性を持つ学者として
際立っています。

彼は霊界を
「天国」と「地獄」の
二元論で説明していますが、
私のこれまでの霊との対話に
照らし合わせると、
実際にはそれらの中に
さらなる多層構造があることを
知りました。

おそらく彼は、
読者に宗教的な先入観を
与えないよう、あえて抽象的な
表現を選んだのでは
ないでしょうか。

現在はインターネットや
YouTubeなどを通じて
彼を知る段階ですが、
今後は
『霊界』や『天国と地獄』
といった原典に当たり、
私が実践で得た事柄と
照らし合わせてみようと
考えています。

私は、根拠のない
スピリチュアルやオカルト的な
話は「妄想的」と感じて
信じないタイプですが、
スウェーデンボルグは
様々な学問に精通し独自の得た
知識の中で
客観的視野で判断していると
感じますので
非常に説得力があります。

YouTubeで検索すれば、
彼の著書を解説した動画が
たくさん見つかります。

目に見えない魂の世界や
死後の世界に興味がある方には、ぜひお勧めしたい存在です。

このような真理が世に広まり、
人類が真の目覚めや人としての
道徳を身につけることが来る日
を切に願っています。
ペンネーム5月

5月5日で、人生の帰路から14年が経ちました。

本当に色々ありました。

辛く悲しい出来事は、いつか誰かの気持ちに寄り添うことができればという思いで過ごしてきました。
ここまで来れたのも、出逢いに恵まれていたおかげだと思います。

ご先祖様のお導きと感謝しかありません。

課題あり、選択ありの毎日ですが
心穏やかに過ごせる日が多くなってきました。

去年から社会奉仕の活動をするご縁があり
益々楽しくなりました。

自分の出来ることで、どなたかのお役に立つほど嬉しい事はないですね。
有り難い事です。

りんあん先生に会いたいな、、、と思いますが
今はまだ遠方まで出かける勇気がありません。


老いていく身体と未病と付き合いながら、いつか大丈夫。と思える日が来たら
会いたい人に会いに、全国を旅して回るのが今の私の目標です。

帰路から14年目の今の私でした。

Jさんの体験談

 2019年7月


 こんにちは。

 本(てんのいと)は、

知人からは何も知らされず

不意に横に座っている私の

膝の上に置かれました。


それだけなのに

身体中が震え出しました。


私は以前から数回かよっていた

ある占い師のもとで

高次元のものを入れてあげると

言われるまま従って、

 それでも体調悪くお祓いを

してもらっていたのです。 


そんな様子を見て知人が

心配して、りんあん先生に

相談したところ

本を膝の上に置いて確認する

ようにいわれたそうです。 


そして本を読んだ後に

先生と会うという流れに

なりました。 


私が本を読もうと思っても

眠たくなったり、

具合が悪くなったりで

中々先に進めませんでした。 


ここからは

私達夫婦の事を書き込みます。


昨年11月から主人とは

別居してます。 


主人はUFOは信じるけど

幽霊は絶対に信じない。

先祖は信じるけど 

憑依される事なんて全く

信じない人です。 


そんな話しをした時は

いつも喧嘩になってました。 


 私は昨年頃から

先生が施術した時に

主人側の先祖がででくるように

なり、 最初は一人でしたが、

その後も数えきれないくらいの

先祖が出てきました。 


その中には、

主人の不甲斐なさに私に

謝る者もいました。 


その時に私は前世で

主人側の先祖から

殺されている事がわかりました。 


 最近わかったのは、

私も主人側の先祖だった事。


 正直複雑でした。


 主人に話しをしたいけど

 絶対に信用してくれないし、 

喧嘩になるだけだし… 


でも逃げてばかりでは

いけないと思い

きちんと向き合ってみる事に

しました。


 先日、二人で食事に出た時に 

お酒も入ってましたが 

何気に先祖の話になりました。 


 主人は先祖のことは

信じてるから
話は聞きます。 


 流れが良かったので 

このまま一気に全てを 

話してみました。 


 すると何も否定せず

主人の口から
出た言葉は 

『先生に会いに行こう!

  本も読むから貸して』


 この人、何言ってんだ!?

 内心では大爆笑! 

先生にその事を話して 

二人で大笑い!


しかし、数日後には

この会話をした記憶が主人には

全くありませんでした。


酔うと入られやすいと

聞いていたので普段聞く耳の

ない主人に、助けて欲しい

先祖が一時的に主人に

憑依していたのだと思いました。


 今、本は主人の所にあります。


 やっぱりですが、

具合が悪くなったり

頭痛がしたり、

中々進まないようです。 


本が家にあるから家の中にいたくないと夜中に散歩したり

(笑

『ガッツリ入られてるやん!』 

『あんたの中に入ってるのが

反応してるんよ!』


 主人ビビってました(笑

 時間はかかりそうですが、

 本人も最後まで読まないと

いけないと思ってるみたいです。


 くだらない話しなのに

長文になりすみません。

読んでいただき

ありがとうございました。 



 ………… 

このご主人から新たな

過去生での出来事が発覚し、

現世では縁も所縁もない遠方の

人たちが過去生での

内紛や裏切り、権力争いなど…、

それは歴史に残る

大事件に関わる出来事でした。

 

また接点のなかった遠方に住む


恐ろしいを軽く通り越す (2014年9月Aさんの体験談) 



との前世での関係など 

複雑に絡み合った魂の出会いが

あり、生まれ変わって記憶もない

それぞれの現世に繋がり…

個々の問題を解決するには

過去の決着をつけなければ

ならなくなりました。 


 【主人はUFOは信じるけど

 幽霊は絶対に信じない。

 先祖は信じるけど
憑依される事なんて全く
信じない人です】


 そんな人が、

伴侶の豹変した姿を
目の前で見て、

その動画を自らが撮ることに

なり、否応なしに霊の存在を

知ることとなるのです。






医学や科学では解明できない
事柄を多く経験した私ですが、
オカルトやスピリチュアルの話は根拠のないいい加減な話も
多く敬遠してしました。

しかし今、
量子力学などの科学的
アプローチによって解明される
事象が増え、知的好奇心を
揺さぶる質の高いコンテンツは
喜ばしいことだと感じています。



肉体には限りがありますが、
AIという翼を得た私たちの
「知」は、
今や時空を超えて
膨大な情報にアクセスできます。

国境や文化を越え、
真理を求めて議論を戦わせる
場も珍しくありません。

その過程で直面したのは、
書き換えられた歴史や、
不当な汚名を着せられた
先人たちの姿でした。

時に、時空を超えて届く
魂の叫びの「真実」に触れる
ことがありました。

それは目を背けたくなるほどに
凄絶で、悲痛なものでした。

けれど、
そうした深淵を覗くほどに
痛感するのは、
過去の怨念に囚われることの
虚しさです。

重要なのは、過ぎ去った
恨みを反芻することではなく、「これからをどう生きるか」
という問いではないでしょうか。

歴史を学ぶ意義は、
過去に執着するためではなく、
未来を創るためにあります。

道徳も価値観も移ろう
時代の中で、
過去に固執しすぎず、
変化を受け入れながら
前を向いていきたいものです。