「アトピー辞めました。」感動するコミュニケーション

「アトピー辞めました。」感動するコミュニケーション

今まで諦めてきたコミニュケーションの仕方をやり直すチャンスが
きました。「利用者さんの人生に 感動を与えて下さい。」と、今取り組んでいるプロジェクトに共通するものがあり、ムクムクと大きなやりがいを感じました。
そして今、新たな人生へ。

愛情を素直に相手に伝えることは、自分を労わることにも繋がるということです。相手も自分も気持ちが良い。
私は自分を伝えられる人、愛を表現する人として生きていきます。


                    

今まで諦めてきたコミニュケーションの仕方をやり直すチャンスがきました。「利用者さんの人生に感動を与えて下さい。」と、今取り組んでいるプロジェクトに共通するものがあり、ムクムクと大きなやりがいを感じ始めています。

私も、アトピーで辛い時は、同じ様に酷い症状でも明るく生きている方達のブログを読みまくっていました。『この人達はどうやって生活しているんだろう、どうやって改善していったんだろうっ』って。

興味を持って、治ったという方に会いに行ったりしました。アロマを取り入れたりもしていました。

ああ、そうか、そうだよね

『助けてください。』と言わなかったら、今こうしていられたか分かりません。

今もまだ、苦しんでいたかもしれません。
同じ様な境遇の方や、話を聞いてくれる人は思いの他いらっしゃいます。一緒に笑顔になりましょう。


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私にとって

辛い時期だった時、

側に居てくれたのは

家族だったり

家族じゃない人だったりしました



泣きたい時には


家族だからとか

大切な人だとか

関係なくて


「ただ側に居てくれる人」

がいます。




「この人の側に居てあげたい」

と思った人が


側に居てくれました。




アトピーで眠れない日々や、

夫婦関係が終わっていた日々、

子供と離れて泣いてた日々、



支えてくれた人が居ました。




今では元夫や子供達、

その家族とも良い関係で


お互いに感謝を伝え合っています。



でも、この数年は、

特にコロナ禍の中では

どんなに寂しくても

一人でした。




いつも一緒に居なくても


一人で過ごす時間を

楽しめるようになりました。





色々な時期に

私と一緒に居てくれた人達に

感謝しています。


私が一緒の空間に居ることを

受け入れてくれた人達に、


とても感謝しています。




どうか

その人達が


今も幸せでありますように




毎日 笑顔で暮らせていますように




貴方達のお陰で、

私はアトピー症状が

出なくなり


逃げていた事にも

チャレンジする事が

出来ました。




そんな気持ちで

身体が一杯になったので



ここに書き留めておこうと

思いました。




沢山の

ありがとう

ごめんなさい

許してください

愛しています



を繰り返し

私は

いえ

私達は

進んでいます。




これからも

色々な事に

チャレンジして

進んでいきます。






大人げないですね


でも

大人なんだから

子供に負けるのが当然でしょ

と 

言う子供には負けたくないと

頑張ってしまいます。






あからさまに手加減されて

勝負に勝って

嬉しいのか⁉️




嬉しいみたいです。


「勝てればいい」

らしいです。




そんな

小学生達を見ながら

私達は

ひたすら

家に帰るまでの

居場所を提供しています。




カードゲームで

最後の一枚を取り合って

「両手は頭の上!」



強制してしまう私も



かなりの負けず嫌いです。




悔しがって

家に帰った子が

次の日

笑顔で側に寄って来てくれると




ホッと

一安心です。




そして


(昨日は大人げないことして

ごめんなさい)




心の中で

謝るのです。



そして


今日はちゃんと

負けてあげるからね

って

心に誓いました。









何の事はない

昨夜、彼と話しができたから

心が穏やかになっただけなんですけどね



これまでは、自分の気持ちを

相手に伝えるのが下手でした



変に強がって

平気なふりして

大好きな事を伝えるのも

照れて上手く言葉に出来ませんでした


今は

寂しい気持ちも

愛しい気持ちも

自分の良くなかったことも

素直に認めて言葉にして

伝える事ができます



それは、

自分がどんな人になりたいか


好きな人と

どんな関係になりたいかを

思い描いて


どうすればそうなれるか

考えて


相手の人と話し合うことを

してきたからだと思います



想いが通じ合ったら

次はどうするかを

2人で考えました




2人でどこに向かっていこうかと

目的を決めて歩いてきました



離れていても幸せを感じながら

今日まで来れました



何故か不安を感じる日は

ホルモンのせいだと

サプリメントを飲んでみたり



好きなドラマを見たりして


気分転換をしてみたけど


1番の薬は

話しをすることでした





言葉にしないと

ものごとは

解決しません



モヤモヤしたものを

言葉にしないと

顔や態度に出てしまうから

悪循環になってしまいます




自分の思いを言葉にする

方法として

このブログがあったことを



忘れていました



それを思い出した今

寂しくなくなりました




ラインが既読にならなくて

想いが伝わらないと

落ち込んでいるより




思いのままに

ブログに書いてみる方が

どれだけスッキリするか



書きたくない日も

あるでしょう



それはそれで

いいのです



彼氏のラインを

気付かないフリをする日も


あるのですから  笑






LINEに、何度スタンプしても

何度ハート送っても

既読にさえ ならない日


もう寝てるんだなあと 思っても

もしかしたらって

また見てしまう


切ない

私は10代の女子か…


何やってるんだろうって

自分でも呆れてしまうけど

返信を期待して2時まで起きてたなんて


ああ

お肌が可愛そう



忙しい彼だと分かっていても

毎日クタクタだって分かっていても

ドキドキしていたあの頃が

忘れられない



それなのに あの頃は

私の方が寝たふりしてたっけ




今は逆になっている


つれなくした報いが

今私に返ってきているんだね



ごめんね ごめんね


でも、せめて既読して


メール 見もしないなんて

あんまりよ



諦めて眠る決断もできなくて

何度もメールして

次の日 取消したら


皮肉にも 

取消したメールに反応して

返信がくるなんて



もういいです

なんでもありませんって感じです



それでも

返信があるだけでも

いいのかな



でも3日後だけどね



もう 動画見過ぎて

身体いたい




暇だと

こんな夜は

誰かと話したいな

今週末、子供達の運動会が終わりました。

 

自分の子供達の時も必死でしたが、先生方はもっと頑張っているんだなと、頭が下がります。

 

一生懸命、全力で走る姿や、保護者から離れられずに泣いてばかりの子がいたりして、初めての運動会の雰囲気を味わうことができました。

 

 

 

 

先日、下の子の誕生日のお祝いに回転寿司を食べにいきました。

子供達と私で三人で行ったんですが、やはり子供達は食べますよね!

支払いで上の子に気をつかわせてしまう程、三人で食べまくりました。

 

 

でも子供たちも満足したみたいで良かったです。

 

 

それで、食事中に小さい頃の思い出話をたくさんしました。

 

下の子は、覚えていないこともありましたが、「なんとなく覚えている・・・」って感じでしたね。

 

 

まあ、離れたのが年長の頃だったので無理もありません。

 

もう中学生なので母親とひさしぶりに久しぶりに話すのが気恥ずかしいのか、食欲の方が勝っていたのか、私とは余り話しませんでしたが、上の子とは楽しげに会話をしていたのあんしん安心しました。

 

 

それでも帰り際、「お母さん、高校、○○高校に決めた。」と伝えてきました。

 

「え? 本当?! もう決めたの?  すごいじゃない! ○○高校いいと思うよ!」

と言うと「うん!」とニコニコしていました。

 

父親にはまだ話していないようでしたので、父親にも相談してみるようにと話しました。

 

「うん!」とは言っていたものの、果たしてちゃんと伝えられたか、父親の機嫌のいい時に話せたかが気になりますが、そこは私の子供を信じることにします。

 

 

 

会話や言語以外のコミュニケーションは、やはり家庭で培うものが大きいので、親としては子供が社会に出てから人間関係で苦労する姿は見たくないものです。

 

親としてできることはしてあげたい。

 

「人として恥ずかしくない」生き方を、見せていかなくてはと思います。

 

 

困っている人に躊躇なく声をかけてあげられる人であること。

少しでも手助けができる人であること。

 

 

「自慢の母です。」と、子供たちに言ってもらえるように。

 

 

 

当たり前のことですが、人のことばかり気にして、ああだこうだ言う人は、実は自分もそう思われています。

 

自分は「経験があるから。」「キャリアが長いから。」という自信で、人の批判ばかりしている人がいますね。それだけでなく、そうゆう人は大体、批判している本人に直接思ってることを「言ってやった。」と自慢げに言います。職場にこうゆう人いますよね。

 

自分の考えが正しいということを、人を批判することで示そうとするのは危険です。

 

なぜ危険なのか。

 

そもそも悪口を言い合っている時の場の雰囲気は最悪です。

言っている本人は気が付かないかもしれませんが、子供たちは不穏な空気を感じて泣き出します。子供は敏感ですからね。

 

それにいつも人のことを批判している人の近くには、「絶対自分もなにか言われてるだろうな。」と思うから近寄りたくないですね。

 

それに、それだけ人のことをみているなら、自分も人に見られていると気付くべきです。

いえ、逆に見て欲しいから人を批判して注目を集めているのかもしれません。

 

まあ、そんなことで人が寄ってくるのは今だけですが。

その人に批判されたくないからすり寄ってくるだけで、大抵は陰で悪口を言われています。

人を攻撃した分、自分にもかえって来ることを知ることです。

 

そんな人が職場にいると、疲れますよね。

自分のことを棚にあげて言われたりすると、ついつい言い返したくなりますが、余計なことは言わない方が賢明です。

 

なぜなら、言い返してスッキリするかもしれませんが、すぐに後悔することになるからです。

それに、理不尽なことをいってくる人は、後にちゃんと理不尽なことで苦しむことになるからです。

わざわざ自分が攻撃をするまでもありません。

 

自分が思っているより周りの人は自分を見ています。

 

なので、ただ人を喜ばそうと生きている人には、喜びが訪れます。

素敵な笑顔の人の周りには、人が集まります。

 

自分が引き寄せている現実がどんなのかは、鏡を見ればわかります。

私も以前は酷い顔をしていました。

眉間にしわが寄り、口角も下がり、いかにも不幸そうな顔をしていました。

 

これではいけないと、鏡を見ながら素敵な笑顔の練習をしました。

そのお蔭で今は、少し若く見られて嬉しい限りです。

 

人の悪口ばかり言っている人は、大体は自分から辞めていきますが、仕事は続いています。

 

嫌な人が辞めればそれで終わりではなく、新たな問題が必ずでてくるので、いかに良い人間関係を築いていくかが大切なのです。

 

 

 

今日も朝から暑かったです。

 

今週は休む人が多くて何かと忙しかったです。

ですがその分、自分で考えて行動しなければならないことが多く、指示されて動くのがいかに楽かを実感しました。

 

ということは、「指示を下さい。」と言う人は、楽をしようとしている、ということでしょうか?

次に何をやるか指示されれば、それは楽ですよね、考えなくても済むし。でも、それが本当に良い仕事につながるのでしょうか。

 

メインのものはその日や週のリーダーが考えると思いますが、一日の流れをみると、次に何をやるかは分かります。そのために何を準備するのかも。

 

状況を見て動き出すタイミングは、やっているうちに分かるので、後は誰がやるかです。

まず自分ですよね。気が付いたら自分がやることです。

だけど、そのうち自分だけがやっている、やることになっているのに気が付きます。

「あれ?」ってね。

そんなことで、「なんで自分ばかり・・・。」と不満に思ったことないですか?

 

私はありますし、他の人が不満を口にしているのを聞いたこともあります。

 

「なんで自分ばかりがやらなければならないの・・・。」

ですよね。

 

それは例えば、消耗品がなくなったときの補充や、汚れたところを掃除しなければならないときなどですね。

 

そんな時、ついつい「なんで他の人はやらないの?」と思いますが、ちゃんと気づいている人がいます。

いつか、「いつもありがとう。」と言ってくれる人があらわれます。

 

実は、そういうひとは意外な人だったりします。

いつも自分にダメ出しするベテランさんだったり、物静かな異性のひとだったり。

「あれ?気づいてくれてたんだ!」と思うと嬉しくなりますよね。

やって良かったと思います。

 

でも、本当に自分だけが「やっている。」仕事なんてあるのでしょうか

 

良くみてみると、他の人は、自分がやっていないことをやってくれています。

例え小さなことでも。

それに気が付いたら、自分から声をかければいいのです。

「いつも○○やってくれてありがとう!」って。

 

そうすることで、最初はなんの反応もなくても、次第に自分がやっている事にも気づき、気が付いたらやってくれていた、なんてことがあります。

そしたらすかさず「ありがとう!」と伝えます。 何も反応がなくても、感謝されて気持ち悪い人はいませんよね。

 

なかには「いえいえ、こちらこそ、いつも綺麗にしてくれてありがとうね。」とか言ってくれる人もいます。そんなこと言ってくれたら嬉しくないですか?

 

自分が「嬉しい」と感じる言葉は、自分からどんどん人に言っていくことで、心地よい人間関係が築かれていきます。

 

不満をいう前に、「どうなりたいか。」自分で実践していくことです。

 

ただ、すぐに変化が現れる訳ではありません。それに、そんなにすぐ変われたら苦労はしませんよね!

人は、「変わりたい。」と思っても、変わることに無意識に抵抗するものなのです。

 

なので、時間は少しかかりますが、「自分がどうなりたいか。」を明確に持ちつづけ、実行していくことで必ず変わります。

 

 

あとは、やってほしいことは素直に「お願い。」することですね。

ただ単に気が付いていないこともありますから。

「あの人いつもやらないよね!」と不満を言う前に、丁寧にお願いして、やってくれたら「ありがとう。」と伝えることです。

 

これらをいかに爽やかに伝えられるかで、職場が気持ちの良い場所になっていきます。

そんな人は、多少ミスしても、重宝がられますよ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し大げさかもしれませんが、子供達に「先生」と呼ばれて数か月目。

 

「先生」とは、広辞苑を引用すると、「先に生まれた人。」「学徳の優れた人。自分が師事する人 。また、その人に対する敬称」「学校の教師」「医師・弁護士など、指導的立場にある人に対する敬称」とあります。

 

まあ、子供達は、「先生と呼びなさい。」と言われるから呼んでいるだけだと思いますが、「指導的立場にある人」である今、私は「先生」としてふるまわなければならない。

 

そのプレッシャーから、毎日汗が止まりません。

なぜなら「先生」としての自信がない私の言うことをきく子が一人もいないからです。

一人くらいはいるかもしれませんが、子供はよくみています。

 

「この先生は言うこときかなくても怒らない。」と思われたら、「いや。」としか答えが返ってきません。そして、「いや。」と言って大人の反応をためしているのです。

 

その時の反応に、「先生」として、より、「人」としての生き方を感じて欲しいです。

 

偉そうに聞こえるかもしれませんが、だからこそ、「人として」どうあるべきかをちゃんと見せてあげなければなりません。

口でいってもわかりませんから、実際に見て、やってみて納得するのは、子供だけではありませんよね。

 

私は更に、失敗して納得してきました。

しなくていい失敗までしてきたかもしれません。

 

これからも、新しいことに挑戦するときは失敗することもあると思います。

でも失敗を恐れずに挑戦する姿を、子供達に見せていこうと思います。

お盆休みが明けての月曜日。

 

今は利用者さんではなく園児と関わっていますので、登園してくる園児の顔を見るのが楽しみでした。

休みが長かったので泣かれるのかなと思っていましたが、ちゃんと覚えていてくれて感激しました。

 

無邪気に抱っこを求めてくる子供たちに、自分の居場所を与えられた気がしました。

 

私の居場所はここでいいんだよと、言ってくれたような気がします。

 

 

今まで、自分の居場所は自分で決めてきたつもりでしたが、そうではないのかもしれません。

 

必ず、人は必要とされる場所にいるものなんです。

今はそう感じられなくても、存在そのものを必要としてくれる人が必ず現れます。

自分で気づいていないだけかもしれません。

 

自分を必要とするかどうかは相手が選びますから、自分はただ自分らしく生きるだけです。

 

自分の思いを受け止めてくれる人を求めて走ってくる子供達。

こんな風に求めてくれる存在を、私はずっと求めていたのだと、抱きついてくる子の温もりを感じながら気がついたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今私の目標が達成されている部分は、「赤ちゃんから高齢者までが一緒に生活できる環境にある場で仕事ができている」というところです。

 

介護士として働きながら、小規模でいいからそのような施設を作りたいと考えるようになりました。

高齢者の介護をしながら聞いていたのは、「若い人と話をすると気持ちが若返る。」という言葉でした。

それは何も、施設にいる高齢者だけでなくて、殆どの高齢の方はそう感じているようです。

なぜならデイサービスに通われている方からも何度も同じような言葉を聞いているからです。

 

 

介護をしている方なら分かると思います。

小さい子を見て顔をほころばせている高齢者の嬉しそうな顔や、愛おしそうに声をかける姿が。

そんな方たちに、どこかで小さな子供たちと一緒に遊んだりご飯を食べたりする機会を作れないだろうかと考えていました。

 

つまり、一緒に生活する場をつくることが出来ないかということです。

 

実際には難しいことかもしれません。

でも、やり方によっては実現できると思っています。

経営を考えたらとても無理かもしれません。

ですが経営するのではなく、普通に昔のように三世代や四世代が一緒に協力しあって生活していく環境を作りたいのです。

作りたいというのは少し違うかもしれませんが、そんな場所があればいいな、そんな環境っていいなとおもっていました。

 

 

私は祖父母や親、兄弟と一緒に暮らしてきたので、その思い出や経験などが蘇ってくるときには「幸せだったんだな。」という思いしかありません。

 

しかし母は違いました。

よくあると言ったら母に申し訳ないですが、嫁として気苦労をしてきたことの話を何度も聞かされてきましたから、一概に皆が幸せを感じられるとは言えないかもしれません。

小さい頃はいつも祖父母から怒られていましたし、実家に帰るといつも母から祖父母への不満を聞かされていましたが、それでも私は祖父母が好きでした。

 

 

他人同士がただ同居しているだけでは意味がありません。

お互いが助け合い、協力しながら生活していかなければ、だれが暮らしても上手くはいかないでしょう。

それは結婚生活でも同じですよね。

 

ただ、そういうことは口で言ってもなかなかできません。

「こうしてあげると喜んでくれるだろう。」という気持ちで動く姿を、小さい頃から見ていれば自然にできることなんですが。

 

「お仕事お疲れ様。」 「いつもありがとう。」 「愛してる。」という言葉だって、普段伝えていないと照れくさくて言えないですよね。

 

その照れくさくて言えない言葉を言える環境が、皆で協力しあって生活する場なんだと思います。

照れくさくたって、言った方が絶対、自分も人も幸せだと思います。

少し前まで私もそんなことは言えませんでしたが、出逢った人たちから、自分の気持ちを伝える大切さを学び、やってきた結果としてこの考えにたどり着きました。

 

自分の家族でできる人たちは別にいいのです。

 

他の人と暮らさざるをえない人たちの為の、共同生活ができる場があればいいなと思っているところに、似たような場所で働くことができたため、この考えを具体的に考えていこうと思っています。

 

子供達との同居も、今はしていませんが、しかるべきタイミングでその時が来ると思っています。

 

その時まで、自分の生活を充実させ、この生活を楽しむことにします。