ヴィパッサナー瞑想への道(2) | 風天たあこのブログ
体験記を纏めようとしながら、それが出来ないまま時間がゆっくりと流れていく。京都から帰ってきて、朝と夜それぞれ1時間ずつ座ることの習慣を身につけていく。少しずつながらそれは私を新たな世界へ導いてくれるようだ。自分の変化を受け入れ、見つめている。

体験中感じたり、見えたり、流れてくる意識をそのままに紹介することに意味はあるのか?と何度も自問してきた。これは私の個人的体験でしかなく、他の人はその人の意識や状況によって自分の体験を体験するだけのことだから、私の体験は意味を成さないようにも感じている。

それでもいい。誰かがそれによって何かの気づきが起きるならありがたいし、何も感じなくて体験記を読んでいる間だけ、風が通り過ぎるように吹き抜けていってもよいではないかと、やっと思えるようになってきた。
意味不明であろうと思われるが、そのままに記録としてここに載せることにする。


『ヴィパッサナー瞑想体験メモ

<8月12日(1日目)>
喉が絞まる。

全てが必要性の下に起きている。怒りさえも・・・
一つ一つ燃やしていこう
体内で「音」が炸裂する。己にこめられた全方位の感情が走り出す。
それぞれの「音」の感情。理屈を凌駕している。

痛い。腹腔内が捩じれる。

この眠さは何?脳が変性している。眠~~~い。
説明不可の体内事情。全チヤクラの唸り・・・胸、足?
一体何がおきているんだ~~~~~~ぁ!!!

長い一日

<8月13日(2日目)>
シンプルなことなんだよ。昨日の苦しみが消えた。

夢の中での体感。キレイサッパリ、楽なんだ。
何を肩肘張っている?

全てはマーヤ。
自分さえも何度も騙される。
コロコロ本当らしきヴィジョンが流れる。嘘の連続に気づけということなの?

夢がステキ!
どんな問題、トラブルもシンプルにOKの流れ・・・・・
(すぐにメモ出来ないので、忘れた)

<8月14日(3日目)>
聖なる沈黙、守れない。愛を表面に出してはいけないのよね。
時間が長い。ゆったりと進む。

便秘、助けて~~~!ガスが出るよぉ!

針の先ほどのポイントからも次々に心はストーリーを見せてくる。創造してくる。
面白いなどといえるものではない。そんなもの、通り過ごしていて、呆れ、その創作能力に感動さえしてしまう。
正に実像であるかのような生のストーリーを見せてくる。脱帽なり。

やっと少し分かって来た。
数息、これなくしてはマーヤの虜となる。

軽い脳内変性が起きているらしく、大地の呼吸、ウネリなどが感じられる。
内容をいちいち書けないが、かなり私おかしいみたい。
みんなでてくるよ、アヤワスカ症候群?
眠気マジック、見破ったり!

左手、右手、それぞれが別の命を持ってしまった。足も別も生命体?
何が取り付いてくるのか、両の腕共痺れて重い。
両腕、両足を何かに乗っ取られて、「私」は胴体だけ?

<8月15日(4日目)>
この混乱の意味は?
心臓の鼓動が時に衝撃を伴って一瞬止まる。苦しい。
身体の苦しさは呼吸による浄化?(自分では全く意識することも感じることも思い出すことさえできない深い闇の澱があぶくとなって表面化し消えていく?)

意味不明の苦しさで、今朝目覚めたときギブアップして帰ろうと思った。
教師に面談を申し込み、ここに来てからの肉体的苦痛を話すと「それは浄化が起きているため」と言われ、何だか心解放されたみたい。
ああ、そういうこと!それならOK!って感じ。

覚悟を決めて座ることとする。(これまで単に興味だけで、覚悟はしていなかったことに気づく)

意味不明の映像が次々と流れていく・・・
女の鉄腕アトム、可愛い動物たち・・・
アニメのオンパレード
脳の中は幸せイッパイの生き物たちが、全身で悦びを表現し動き回る。
私に絵の才能があるなら、このストーリーで絵本を完成させることが出来るだろう。
悦びが溢れている。

聖なる沈黙・・・
いつまでも慣れない異空間・・・私ひとりが異星人・・・
口をきかない、挨拶をしない、謝らない、お礼を言わない、目を合わせない、人を受け入れない・・・
頭で分かっていても、その沈黙の世界に入れなくて、ちょっとした時に声を出してしまい、相手から恐れの目を向けられる。
自分の居る場が、なぜか自宅のままなのだ。
確かにここは京都の山里であり、私は新幹線に乗ってやって来た。それは解かっているのだが、瞑想によってどうも脳の変性が続いているようで、私は周囲の波動になじめず、自分の世界-自宅に居る様子。
「あのね、カヲルさん・・・」とか「理恵、ちょっと・・・」とか何かを頼もうとしたり、「あっ・・・」と声をだしてしまったりする自分に驚き慌てる。
私の中身は、一体どこにいるのだろう・・・

普通の行動(瞑想をしたり、歩いたり、食べたり、トイレにはいったり、シャワーを浴びたり・・・)をしながらも、「私」は異空間を彷徨っているようだ。
(だから、聖なる沈黙???)

<8月16日(5日目)>
昨日の朝、脱走を考えた。
5日目の朝、ヴィパッサナー瞑想に入った!「在るがまま」に突入した!

今日で6日目?便秘との静かな冷戦・・・

「在るがまま」に止まれなくて(?)、意識は積極的に「今後の方針」を打ち出してくる。
仕事の企画が次々にまとまってくる。

自分がどこに向かっているのか・・・???
無関係とも見える意識や映像がのぼってくる。

指導者からお呼び出しがかかり、「聖なる沈黙」に従うこと、参加者のルールに従うことにつき、お叱りを受ける。(私が不用意に声を発してしまったり、メモを取って居ることが同室の誰かから報告されたようだ)
真剣さを求められている。

<8月17日(6日目)>
日夜意識が朦朧としている中で感じることは、闇のない人と言われていた私にも明確な闇があったということ。それはとても巧妙に隠蔽され続けていたということ。

形の掴めない闇との対面の中に、少しばかりの光が見えてきた。
早朝瞑想時、録音されているゴエンカ師の声が流れる中、雨が降り始める。寒くて他の瞑想者たちは毛布を身体に巻きつけているのに私は額から汗が流れ続ける。

何かが変化した。
聖なる沈黙というルールにはまだなじめないままだけれど、瞑想で私は確かにソコに入った。内なる沈黙を体験した。

右肩の抵抗がなくなるかもしれないという予感。

「やったぞ!!」という思い入れが邪魔をして、再度の沈黙への突入を試みるが、明晰な意識がなぜか仕事のことを伝えてくる。
身体の感覚を感じ取るという基本のステップに何度も戻ってみるのだが、これからの仕事のことが絶えず現れてきてしまう。逆らっても仕方ないので意識の自由を見つめるのみ・・・

<8月18日(7日目)>
早朝瞑想中、足、腰の存在が消えた。(長時間座ることの痛みからの解放!!)

指導者からの聞き取りに対し、身体が消えて意識だけになったことを告げると叱られた。「身体を消してはいけません。目を開けてもいいですから、身体をしっかり感じてください。」とのこと。

それにしても参加者たちの暗いこと、重いこと。
毎夜、重圧してくる二つの力は彼女たちのもの?と思いたくなってしまう。責任を外に求めることは適切ではないので、自分のこととして捉えなおしその黒い二つの塊を見つめる。

真っ黒い大きな柱が二本、私の身体の中に並列して立っている。
交換神経と副交感神経・・・光と闇・・・精神世界と物質世界・・・そうか、わかった気がした。これは相対世界の二元性、陰と陽のエネルギーであろう。二つは一つの流れでしかないのに分断されたままに意識下に存在しているようだ。物質世界をどこかで否定している私の心を見せてくる。どちらの存在もあるがままに認め、手をつなぐことの大切さを伝えてくるようだ。どちらかに偏ることなく、素直な心で両方を楽しみ、生きることが調和。欲望の限りを尽くす物質偏重も、あたりまえの生活を軽んじる霊性追求型の生き方もコインの裏表・・・タオのマークに見られるように、そのバランスが大切・・・雑踏の中の涅槃・・・

身体の苦しさは朝方溶解していった。

<8月19日(8日目)>
第二ステージとしてのスタートしていくこれからの10年間がかいま見えてきた。地域への参加、人への参加活動の動き。   』

メモはここまでしか残されていない。
自分で読み返していて気づくことがある。私はコズミック・ダイアリーを手帳代わりに使用している。この時期は月の月に当たり、キーワードは「挑戦、極性を与える、安定させる」となっている。

コズミック・ダイアリー2005の伝えてきた文章は以下のようになっていた。
『目的を方向づける

月は、存在の二元性をあらわす。
月は太陽の光を受けて夜に輝き、人に「陰陽」という二元性の関係を感じさせてくれる。

「陰陽」は対立ではなく、二つが組み合わされてひとつになっている。

「磁気の月」「月の月」「電気の月」「自己存在の月」、コズミック・ダイアリーの最初の四つの月は、行為を生み出すためのベーシックな宇宙論を表す。

月の月の働きは、二つに分ける「極性を与える」ことによってエネルギーを生み出す。
北極と南極という対の極を生み出す。

それは、宇宙から見ると、対立としてではなく、北極から南極へ、また、南極から北極へと、磁力の循環する安定したエネルギーの働きとして、とらえることができる。

月の月の28日間は、「チャレンジ」という「新しいものに向かう心の力」が、宇宙の目的を方向づけ、地球の上で、新しい価値観に向かって、エネルギーを強め、その目的を安定させる。

目に見えないエネルギーが醸成されていることを、宇宙から感じてみよう。
地球からは、同じひとつの月を感じてみよう。

What is my challenge.   』

自分の体験が正にこの文章とシンクロしていることで、大きな意識を受け取らせてもらったことを素直に感じている。
5年間くらい意味はわからないままに使用してきたマヤ暦が、宇宙の意志をそのままに私に投げかけてきたことを感じている。自分の生き方(方向性)が、宇宙の意志に共鳴し共振を始めたらしいことを身体が受け取っていることを冷静に観察している。

宇宙と一体である「私」を静かに認識する。

日常生活が、呆れてしまうくらい「月の月」の流れに沿って開いていくようだ。
9月20日から「電気の月」にはいっていく。「電気の月」のキーワードは「奉仕、活性化する、つなぐ」で、コズミック・ダイアリー2005の記述を紹介したい。

『最高の奉仕とは? 宇宙のリズムに「行い」をつなげること。

電気は、目に見えない。目に見えない力が、対立するものをつなぎとめ、「まわりのもの=環境」をつなぎとめ、まわりのものすべてを活性化している。

すべての「行い」は、人に影響を与え、自然に影響を与え、地球に影響を与え、宇宙にも影響を与える。

「行い」をしっかりと見据えたときに、草や木を、虫を、動物を、大地を、空を、雨を、風を、星を、月を、太陽を、宇宙を、「まわりのもの=環境」との関わりを、深く感じ始める。

人への働きかけであっても、作物への働きかけであっても、山への働きかけであっても、人を力づけたり、草木に声をかけ、山を畏れ、そこに「神」を観て、祈ったり、
「行い」は、「まわりのもの=環境」を息づかせ、宇宙を活性化する。

電気の月の28日間は、宇宙のリズムに「行い」をつなげてみよう。

自然のすべての存在が、まわりとのかかわりから、生み出されている。そのことを感じてみよう。その時、すべての「行い」が、まわりのものに影響を与えていることを、感じ始める。

宇宙のリズムに「行い」をつなげることによって、まわりのものすべてを活性化する「行い」は、宇宙にとって「最高の奉仕」となる。そんな「行い」を積み重ねる28日を。

How can I best serve?    』

切れ目なく流れるように変化し続ける日常及び意識を冷めた目線で観察していこうと思っている。継続している朝夕の瞑想は、次第に深くなっていくようだ。心(意識)を呼吸に沿わせていくと、身体と心(意識)と呼吸がひとつに解け合う。
「観つめている自分」と「観つめられている自分」に境界がなくなり、ひとつになり「自分」が消えていく。
そこに在るのは静寂な呼吸と不可分な心(意識)。広大ないのちとなる。

ヴィパッサナー瞑想、まだまだ奥が深そうです。