常識を壊してくれた人たちとの出会い(1) | 風天たあこのブログ
まがりなりにも、多くの拘束から自由になり、日々心穏やかに何の不安もなく生きられるようになりましたが、ここまで自由になれたのは私一人の力ではありません。夫が他界した後、まるで待っていたかのように多くの異才を持っているらしい人たちが怒涛のごとく我が家にやってきたのです。

「来るもの拒まず、去るもの追わない」楽天家としての私の性格が幸いしたのだと思います。彼らの言動は理解の範疇を外れていましたが、面白いドラマや狂言でも見るように私は彼らの来訪を受け入れておりました。

彼らとの共同生活の様子は、「夜明け前」を始めとして幾つかのエッセーで紹介しておりますので、興味のある方はそちらも読んでいただけるといいと思います。

たった一人でスタートした私のビジネスが大きく成長していくにつれて、それと正比例するかのように満たされない心が私の内側で育っていきました。一人でお酒を飲む夜が増えていき、ある時私はお酒を傾けながら、「いつまでこんなことを続けるの?こんな生活もう止めたいよ~ぉ」という言葉を発しながら、止まらない涙を流し続けていました。

社員数は200人を超え、業界ではそれなりに名前も知られている時のことで世間で言う「成功者」だった頃のことです。この言葉の奥に潜んでいたのが魂からの揺さぶりであったことなど、まったく分かっていませんでした。いわゆる常識と言われている世間の価値観のなかに生きており、何ひとつ疑うことなどなかった頃のことです。

自分の発した言葉が現実を引き寄せてきたのは、その日からそれほど遠くない時期だったと思います。ともかく私の会社は倒産し、毎日が日曜日という生活に投げ込まれました。地位も名誉も肩書きもなくなり、やらねばならない仕事もなければ、お金もない。それまでに所有してきた不動産類は全て差し押さえられ、競売にかけられました。ある意味で帰ってきた浦島太郎のような状況です。まるで
夢でも見ているようでした。

するべきこと、やらねばならないことなど何一つ無く、ただ有り余る時間を持て余しておりました。そんな時、銀河系地球祭のご案内というパンフレットに接し、深い考えなどなかったのですがその会場に出かけたのです。

会場にいる人たちに馴染めず、私は「なぜ、ここに来たのだろう?」との想いを抱え、一人離れて立っていました。何だか訳が分からないし落ち着かないので、もう帰ろうと思っている時、私の目がある男性の持っている紙束に吸い寄せられていきました。

「何だろう?」「あの紙束は何だろう?」「あの紙束が欲しい!」理由は全く不明ながら、目が反らせなくなっていました。私の視線に気づいたその人が近づいてきて「これですか?これが欲しいのですか?」と手渡してくれたのが創生会レポートであり、その人が津留晃一さんでした。

その日から1週間くらい経った頃だったでしょうか?
津留氏から電話を受けました。創生会レポートをいただく時、名刺交換をしていたのです。
「浜口さん、僕に相談したいことがあるでしょう?」と言われるのです。
「???・・・いいえ、何のことですか?」こんなやり取りの末、
「いいですよ。ともかくあなたは僕に会う必要がありそうなので、夕食をご馳走しますから九段下まで来てください。」と強く誘われ出かけたのです。

私の常識を壊してくれた最初の人が彼、津留晃一氏だったのです。
平成6年のことです。

中華料理店に連れて行かれ、ビールやいくつかの料理が振舞われました。
そして不思議な会話が始まったのです。

「浜口さんは、今やらねばならないことを抱えていますね。」

「はい、そうです。」

「やらねばならないとあなたが思うとき、あなたの心はやりたくないと思っていることに気がつきませんか?」

「そう言われればそうかも知れませんが・・・」

「いいですか、心がやりたいと思うときには、あなたはやらねばならないとは言わず、やりたいと言いませんか?」

「そうですね・・・。(だから、何だって言うのよの心境)」

「あなたがやらねばならないと思う時、心はやりたくないと言っているのだということを知ってください。」

「はぁ~・・・、確かに言葉としてはそうなりますね。」

「あなたは今やらねばならないことを抱えています。それはやる必要のないことなのです。」

「確かに私は今働かねばならない、生活をするためのお金を作らなければならないと思っています。」

「必要ありません。あなたの心がやりたいと思うことだけをやってください。」

「そんなことを言われても、私が働かねばならないのです。会社を倒産させ、預金も何もかも無くなりました。無一文に近い状況です。夫は身体を壊していますので、入院させなければなりません。肝臓癌だと思います。以前にも彼が倒れた時、助からないかも知れないと医師から言われています。その時の入院費用は1ヶ月で、約100万円かかりました。今回も同じだと思います。まずそのお金を作らねばなりません。そして娘が来年高校受験ですが、彼女は公立の学校は無理のようですので私立になります。その入学金や制服代、寄付金などでこちらでも約100万円が必要になると思います。息子はオーストラリアに留学中で、彼にも多少のお金を毎月送らねばなりません。私以外に働ける人間はいないのです。」

「大丈夫ですよ。あなたがやりたいと思うことだけに集中して楽しく生きてくだされば、あなたが必要とする最低限のお金は、必ずあなたの手元にやってきます。」

「一体誰が私たちを助けてくれると言うのですか?津留さん、あなたがそのお金を私にくださると言うのですか?」

「いいえ、僕ではありません。あなたです。あなたは神なのです。創造主なのです。あなたが毎日楽しく笑顔で生きていれば、あなたに必要なものは必ずあなたに与えられます。必要以上には来ませんよ。必要最低限しか来ませんが、必ずお金はやってきます。僕もそうなのです。」

「・・・・・・・」

「浜口さん、あなたは何をしたいのですか?」

「今は本を読み続けたいかな。エステティック業界にいて本当に美しく健康になってもらうためには、人が毎日何を食べるかが重要だと気づきました。化粧品でも美容機器でもなく、食事こそが要と分か
り、追求しているうちに農業政策の間違いに出会いました。無農薬農法の勉強をしていたら波動という初めて聞く言葉にぶつかりました。今『波動時代への序幕』と言う本を読んでいます。私の知らない世界ですが、とてもおもしろいと感じています。波動についてもっともっと知りたいので、関連する本を読みたいんです。」

「どうぞ読んでください。」

「毎日何もせずに、本だけを読み続けてもいいんですか?」

「勿論です。」

「仕事も探さず、仕事もしないで?」

「そうです。あなたは、あなたの心が欲するままに生きてください。」

「・・・・・・」


そんな驚くべき会話が続き、私は結論を保留にしたまま津留さんに自宅まで車で送ってもらったのですが、決して納得していたわけではありません。こんな途方もない話をどうすれば信じられるというのか?津留さんは他人だから責任もないし好き勝手を言えるけれど、私には現実問題なのよと心は未消化のままだったのです。

ところが自分でも何故かは未だに分からないのですが、私は毎日、本を読み続ける生活に入ってしまいました。本を読むか、サウナに入って汗だしをするか、臨海公園を散歩するか、それが日常になってしまいました。

確かに私はどちらかと言えば素直な人間ではあるけれど、津留さんの言葉を真に受けたわけではなかったのに結果として津留さんが教えてくれた通りの生き方をしていたのです。何の補償もない、危うい生き方の筈なのに、私はその時から必要なお金は不思議なくらい手に入ってくるようになりました。
この辺のところはいくつか信じてもらえないような体験をしてきたので、別の章を設け、そこで詳しい話をしようと思っています。


準備が整うと師は自ずから現れると言いますが、将に津留さんは私にとって最初に現れた師だったようです。その津留さんも既に他界されましたが、津留さんなくして今日の私は存在していないでしょう。津留さんを偲ぶ会の案内書に触れ、出かけてみましたら、彼は霊界でも迷える人(霊)たちを集め、セミナーを開いているようですとの報告がありました。感謝の言葉を伝えたものの、微笑ましくて、つい笑ってしまいました。


「ねばならないと思うことは、心が嫌がっていることと知ってください。
ねばならないことなどないのです。したいことを楽しくやってください。
それが本当の自分を生きるということです。
本当のあなたは創造主なのです。
常に幸せであれば、あなたの想いはすべて成就します。」

津留さんが教えてくれた言葉です。
この言葉を肯定も否定もせず、ただその時その時の流れに逆らわずに生きてきただけですが、結果として私は津留マジックにかかった観客になったようで、最初の号にも書いたように笑うしかない人生が開いていったのです。津留さん、本当にありがとうございました。

津留さんとの出会いが、新たなるステージへと私をいざなってくれました。それからというもの、日々わけのわからない人たちが我が家を訪ねてくるようになり、彼らとの約10年にわたる接触により、私の中に巣食っていた強固な価値観、常識と呼ばれている心の呪縛をものの見事に壊してくれました。