日々自分の中が変化していく流れを見つめています。何が変化しているのかを言葉にすることに多少の面映さがあるのですが、それは「大いなる自己」あるいは「ハイヤーセルフ」、「高次の自己」と呼ばれる意識エネルギーとの邂逅であるように感じています。
まだそれは自由に「対話」が出来るほどではありませんが、夢や発生してくる現象で教え導いてもらえているようです。
それでも最近の夢や現象は、日々の生活の中で自分が意識している内容に対する気づきやヒントを即答に近い形で見せてもらったり、体験させてもらったりしています。
「人が神へと戻っていくために大切なことは水と呼吸」という夢に続いて教えられている内容を夢日記からご紹介します。
「6月6日の夢」
それまで住み慣れたところから追い出される。
生き方のルールを忘れないようにすれば、空間移動など大した問題ではない。
海の中の住まい-それは死者(霊)のための場
三角形で仕事をすれば順調に進みます。(同じ夢を前にも見たことを思い出す)
<この内容から何を受け取るのかは自由ですが、私はこれまでの拘束された価値観をすべて捨てて三角形-身体・魂・霊の三位一体-で生きていきなさいというメッセージではないかと捉えています。>
「6月7日の夢」
大勢の人が参加している晴々しい大パーティが開かれています。一体何人が参加しているのか、目的は何なのか詳細はわかりませんが、参加者たちは盛大なファッションに身を包み、全身で悦びを表現しています。誰かの結婚式のようにも見えるのですが、それだけではなさそうです。次から次と訪れてくる正装の人々、祝いの届け物の数々が増え続けています。
<この日には意味が解からなかったけれど、読み返していて感じたのは6月8日金星、地球、太陽が一直線に並ぶという宇宙のセレモニー(この日から人類意識の覚醒が始まると言われているようです)に参加している魂や霊たちの宴のように感じています。>
「6月8日の夢」
在るがまま、そのままの自然体で楽に生きる悦びを感じています。
風呂に入ろうと思って歩いていますが、風呂場への道がわかりません。どうやら私が歩いている道より下の方らしいのですが、降り口が見つかりません。通りすがりの男の人に聞いてみました。彼は「ついておいで」と言い、彼の息子と共に賽銭箱を壊し始めます。「これだけあれば、風呂に入れるだろう」とその中からいくばくかの小銭を私に渡してくれました。
その小銭を持って風呂場へ向かいます。
入り口は神社の社務所のようなところです。中に入っていくと多くの人たちが悦びを全身で表現しています。クリスタルで出来ているらしい人間大の龍とその龍の前景として一本の樹があり、花が咲いています。その花もクリスタルのようです。その全景に対してどこからか放水されており、場全体が洗い清められているようです。
「風呂に入りたい」と言うと、「早く行きなさい。勝手に行っていいんだよ。お金は要らないよ。」と手で合図してくださいました。<この人は私の良く知っているH氏のようです>
みんな悦びを表現しています。
古きを壊し、新しきを準備することに余念のない人たちを見ていて感じたのです。
「今日は大晦日?」
人々は屈託なく、明日を悦びで迎えようとしています。
<夢日記を書きとめているときの私は、それこそ夢うつつですので、思考活動をしているわけではありません。見たまま、感じたままを半分眠っている意識状態のままで書きとめています。ですから夢の意味は、後日読み返した時にやっとわかります。新しい時代を迎えるために、私は自分の心身を洗い清めたかったようです。>
「6月10日の夢」
「夢」の中に在るものを整理しています。
広い土地、大きな家、今まで使用してきた家具や衣類、様々な所有物、食べ物などで溢れています。それらを一つずつ目の前に据えてこれからの生活に必要なもの、捨てるもの、人に差し上げるものなどに分けていく作業をしています。この作業はいつ終わるのか検討もつかないくらい、「夢」の自宅にはものが溢れています。
大きなごみ袋がいくつも出来上がってきます。この作業を続けながら私は決意します。
新しい自分を創るため、出来るだけ捨てていこう!
身体ひとつでいいじゃないか!
シンプルに生きていこう・・・と。
<現実生活でも平成6年以降、捨て続けてきた人生でした。捨てることの快感を知りました。大自然が私の家であり、財産だと思えるようになってきています。それにしても「夢」の中にまで溢れるものを持ち続けていたなんて、自我の強さなのでしょうか?苦笑してしまいました。そうですよね、これら多くの所有物とは自我意識そのものなのかもしれません。>
「6月12日の夢」
自分に明確な意思、意図がない場合、安易にそれを選択しない方が良い。
選択することに自信が持てない上、その選択によって現れてくる結果(あるいは反作用)に対して適切な受容が出来ないので、自己の葛藤をより深めてしまうことに繋がっていく。
たとえそれがどれほど自分にとってすばらしいことに見えていても、意思と意図のある人にお任せした方が全体として、事はスムーズに進行していきます。
<リアルで詳しいストーリーだったのですが、目覚めた時には細部の出来事は記憶に残っていなくて、全体像しか書けませんでした。何事か行動を起こす時は、明確な意思をもって集中して行動しなさいということのようですね。いい加減な心のままに行動することを戒められているようです。>
「7月1日の夢」
夢の中でのストーリーによく注意してください。混入している別の流れがあった場合、夢の中で意識的に混入しているストーリーを変更してください。
乱雑に一挙にその部分を消し去るのではなく、ゆっくりと何回にも分けて少しずつストーリーを変更していくのです。
焦らないで、少しずつ、確実に変更していくようにしてください。
例えば夢の中で小石に躓いた場合、小石を見るごとに、その石を丁寧に手に取り、別の場所へ置くという行為を夢の中で実施することです。
夢の細部に注意してください。
焦らず、ゆっくりと夢を整理していくのです。夢の中で夢を整理することは、現実を整理することに繋がっていきます。
<う~~~んと唸ってしまいました。現実での体験を整理し、自分の行動を慎重に制御していくことさえ至難の技と思えるのに、夢の中での体験を記憶しておき、夢を見ているときにその記憶を呼び戻し夢の中で意識的な行動をしなさいというメッセージの困難さ・・・。
確かにそれが出来るようになれば、現実生活は想いのまま、滑らかに進んでいきそうです。夢は夢であっても時空が異なっているだけでアストラル体にとっては現実以上の現実だと言われています。そんな体験をこれまでにも何回も味わってきました。それにしても随分難しいことを伝えられてしまいました。
それが可能になれたらステキでしょうねと思いながら、使用していない大きなバッグ類をきれいに磨いて天袋に納めようと椅子の上に立ちました。バランスを崩し籐の椅子が倒れ、私もゆっくりと倒れていきました。倒れるときに足首を椅子のどこかにぶつけたらしく、その痛みに起き上がれず、しばらくそのままの姿勢で唸りながら気づきました。
「あぁ、そうね。私は今、身を入れていなかったよね。」大きな荷物を天袋に納めるという行為に集中していませんでした。どんな些細な出来事であろうとも、どの瞬間も集中してくださいと夢で伝えられていたのに、それを忘れていたのです。
そしてこの気づきが呼び水となって6月12日の夢の内容が思い出されました。私は明確な意思も意図も持たないままに興味本位で、あることをしようとしていたことに気づかされました。改めて私にとって、その行為が真剣に必要なことかどうかを考えてみました。そして止めようとの結論を出しました。
「大いなる自己」は本気のようです。これまでは多くの教えをもらっていましたが、一方通行で、このようなお叱りともとれるような反作用的現象はありませんでした。私の内部でツウウエイ・コミュニケイションを取りはじめた「大いなる自己」という存在に感謝しています。>
「7月2日の夢」
<体内エネルギーの変動が続いていますので、ここしばらくゆっくり眠るということがありませんでしたが、今日はとても充足した眠りを持つことが出来、満ち足りた体感で目覚めることが出来ました。
午前5時、朝を知らせる小鳥たちのさえずりに誘われて、穏やかであたりまえの命の朝に感謝-ありがとう・・・ひんやりとした朝の清清しい空気、畳の匂い、庭の緑、斜めに差し込んでくる太陽の光、小鳥の囀り・・・新鮮で豊穣な波動の中、命の海に不足するものはなく、すべての悦びが透明色に輝いているようです。こんな穏やかな朝を迎えたことが、かつてあっただろうか?・・・>
何故今頃こんな夢?
亡夫浩さんとの穏やかで満ち足りた愛の生活、安心しきっている私たちは心残りなく愛を発振し、愛を受け取り合った。これほど優美で華麗な愛の交歓を体験出来るなんて・・・
<「大いなる自己」という存在を明確に意識に入れたことに対するご褒美?>
「7月3日の夢」
<完全なる夢ではなく、半覚半睡、夢うつつの状態での対話です。>
大いなる自己-「今、この瞬間に心(魂+霊)は何を選択しますか?」
私-「自分ではなく、縁ある別の生命存在と一つになることを選びます。瞬間の自己の心(魂+霊)に忠実であろうとします。」
大いなる自己-「身魂霊が完全に一つになっているとき、あなたが望むなら別の生命の裡に在る魂霊と融合することができます。気づいていますね。あなたが三位一体の自己統合が出来ている時、眼前の肉体存在の裡で眠っている魂霊に目覚めのエネルギーを発振し、包み込むことでその人の魂霊を惹起させることが可能です。」
私-無言で了解する。
(最近、数人のパーソナルレッスン&カウンセリングを実施した時、それを感じていた。彼女たちが口にしてくる言葉は表象的なもので、魂からの呼びかけを正しく受け止められていないようだった。
それに気づいて欲しいと心で念じた時、丹田の辺りから炎のようなエネルギーが私の全身を覆いつくすほどに拡がったので、自然な流れでそのエネルギーを彼女たちに流し、私の全エネルギーで包み込み、彼女の内なる魂が目覚めますようにと祈った。
しばらくの瞑想状態の後、彼女たちは静かに涙を流し始めた。彼女たちの内なる魂が動きだしたことを受け取った。)
大いなる自己-「但し、相手が意識的にそれに気づくかどうかは別です。相手は自己の裡で何が起きているのか気づけないままの場合もあります。それでも良いのです。
静かに待ってあげましょう。対話を繰り返し続けていくことで、相手の魂霊が徐々にエネルギーを蓄えてきますので、何らかのメッセージをその人に発振してくれます。
それによって、閉ざされていた心の扉が開き急に涙が溢れてきたり、大切な何かを思い出したり、気づいたり、癒されたりしていきます。
あなたが私を認知できたように、誰の裡にも高次の自己が存在しています。あなたが出来ることは、真剣に、そして謙虚に自己統合への訓練を続けていくことです。それがあなたの進化であり、全体への奉仕なのです。」
私-「実相として、すべてが私です。自我意識の正体を見定め、手放していくことで三位一体へ向かいます。今、ここ、この瞬間に集中できるようになることで自己統合を成し、相手の裡に潜んでいる高次の意識にアクセス・アプローチできます。すべてである私を愛します。」
<頭で解かっていても、つい肉体感覚に引きずられ集中心を忘れてしまうけれど、方向性がはっきりと見えてきた以上、私はこの道を焦ることなく、自分のペースで日常生活に取り入れていく。三位一体への道は、人間としての原点に立ち返り、あたりまえの日常生活を静けさの中で、あたりまえに生き続けることと知る。>
人類変容の季節がやってきたようで、静かだけれど確かな手ごたえの元、私は「今日」「今」を悦びを持って学んでいきます。
無限に続く意識の変化を楽しみつつ、呼吸を観察し、命の意味を体験しています。
自然と乖離しては、いのちの存続は困難でしょう。自然が私の教師、私が完全なる自然の一部となり、自然の全体となれる日を夢見つつ・・・・・