てんきゅうの日常

てんきゅうの日常

自分自身とひたすら向き合うブログ

2か月ぶりにブログを更新するにあたり

 

今までどんなこと書いてたっけ?

 

と、自分が書いてきた文章を

 

ざくっと見返してみた

 

 

自分の書いた文章に

 

ちょっと励まされた(笑)

 

 

過去の私は、今の私のために役立っている

 

 

過去の私よありがとう!と感謝した

 

 

 

実は最近よく、過去の自分に感謝している

 

 

急遽必要になったものを

 

過去の自分が買っておいてくれたおかげで

 

すぐに使うことができたりしたこともあった

 

「助かった~、ありがとう!」と感謝する

 

 

 

よくマインドフルネスの瞑想では

 

『今』に注目し『今ここ』を感じなさいと言われる

 

 

だけど、過去や未来に想いを馳せることも大事なことだと

 

最近よく思う

 

 

そして

 

『明日の自分のために

 

 今(今日)の自分ができることをする

 

 明日になったら、過去(昨日)がんばってくれた自分に感謝する』

 

のルーティーンができつつある

 

 

本当に些細なことなのだけど

 

明日ゴミ捨てに行く自分のために

 

ちょっとでもらくになるように

 

今の私がごみをまとめておく とか

 

 

明日の自分がちょっとでも楽になるように

 

今の私が掃除をしておく とか

 

 

明日の自分がちょっとでも知識が深まっているように

 

今の私が勉強しておく とか

 

 

明日の自分が今日の私を褒めてくれることも感謝してくれることも知っている

 

明日また喜んでもらいたくて

 

今日がんばる

 

 

そんな自作自演なのだけど

 

重たい腰がなかなか上がらない私が

 

面倒くさがらずにちょっとだけ行動できている

 

 

 

日常の些細な積み重ねが、生活を、人生を作っていく

 

だから今日も、明日の自分が喜んでくれるように一つ一つの行動を頑張っていこうと思う

 

 

 

しばらくブログの更新をお休みしていたのだけど

 

その間にいろいろなことがあった

 

 

大きな出来事で言うと

 

体調を崩して数年ぶりに寝込んだ

 

 

命にかかわるような大病ではないけれど

 

高熱にうなされながら、勝手に命の危機を感じていた

 

 

「このまま眠ったら、明日の朝、目が覚めないかもしれない・・・」

 

 

一人暮らしあるあるなのかもしれないけれど

 

平常時でも時々そんなことを考えたりする

 

寝る前にちょっと頭痛がしただけでも

 

「眠ってるうちにこの世とさよならかもしれない・・・」

 

そして、なんとなく部屋の掃除を始めたりする

 

 

 

でも今回は動けない

 

動く気力も体力もない

 

もうどうでもいい・・・と思う程体がだるい

 

 

部屋散らかってるけど・・・しょうがない

 

このまま発見してもらおう

 

死んだ後で何言われても、もう恥ずかしくない・・・

 

 

いや、本当は嫌だけど

 

 

恥ずかしいけど

 

 

しょうがない

 

 

これがありのままの私だ。。。

 

 

 

 

そんなことを覚悟していた

 

 

 

 

そして、数日後

 

 

私はすっかり元気になった

 

 

 

だけど、人生の終わりを意識したことは私の中で大きくて

 

布団の中で、動けない体で

 

ぼんやりと考えていた

 

 

このまま死んで思い残すことはないか?

 

 

・・・・・・

 

・・・ないなぁ。。。

 

特にない

 

 

 

私は今まで何も成し遂げてこなかった気がした

 

 

結婚も出産もしていなし

 

仕事も中途半端

 

私がいなくても困らない

 

貯金も少ない

 

 

守りたいもの

 

死にたくない理由

 

後ろ髪惹かれる想いなんてない

 

 

 

出た答えは諦めだった

 

 

 

いつ死んでもいいという充足感ではなく

 

今死んでも、『もうしょうがない』という諦め

 

 

今更何をどうしたいなんて

 

ない

 

 

 

それがなんだか虚しくて切なくて、悲しかった

 

 

あぁ、私はこのまま死ぬのかぁ。。。

 

それが今日かもしれないし、数年後、数十年後かもしれない

 

いつかはわからないけれど

 

 

だけど

 

きっと何年先でも、今と同じようなことを思うんだろうな

 

 

今のままの生活をしていたら

 

そのときも同じことを思う

 

 

 

何かを変えなくちゃ!

 

そんなことを思っていた

 

 

 

以前のネガティブ思考な自分に

 

私は

 

『存在しているだけで価値がある』

 

そういい聞かせ続けてきた

 

 

けど

 

そのもう少し先を行かなきゃいけない気がする

 

 

 

自分をおろそかにして

 

人のためばかりに奔走してきた20代、30代

 

 

疲れて体を壊して

 

ゆっくり生きていこうと決めた

 

 

 

でも

 

もう十分休んだ

 

 

そろそろ動き出す時なのかもしれない

 

 

また人の役に立ちたい

 

誰かに必要とされる人になりたい

 

そういう自分になりたい

 

 

そんな欲が湧いてきた

 

 

そして

 

そのために動き出そう

 

頭の中で考えて終わりじゃなくて

 

ちゃんと動き出そう

 

 

勇気が出ないなんて言ってられない

 

 

体が回復してからも、その想いは変わらず

 

 

私はある分野について少しずつ勉強を始めている

 

 

想いを形にできる日が楽しみ♪

 

 

 

推しの初のドーム公演に行ってきた

 

愛と感動に包まれた最高の空間だった

 

 

夢を一つ一つ、確実に叶えている推したちは

 

光の方向に進んでいる

 

 

だけど

 

犠牲にしているものも多い

 

悩みもあるし

 

不安もある

 

思うようにいかない状況や環境もある

 

 

 

心の葛藤を隠さずに言葉にしてくれる

 

 

偉ぶらず

 

謙虚に誠実に

 

これからもがんばる

 

一緒にがんばろうと言ってくれる

 

 

 

置かれている立場は全く違うけど

 

人として感じる感情

 

挑戦に対する葛藤や不安、悩み、戸惑いはみんな同じだよと

 

いつも背中を押してくれる

 

 

 

彼らは毎回新しいものを見せてくれる

 

いくつか新しい曲が加わっていたり

 

振りが変わっていたり・・・

 

 

忙しい中で、いつ準備したんだろう?

 

いつ練習したんだろう?と思う程

 

 

体と心、大丈夫かな?と心配になるくらい

 

 

彼らはよく「少しでもみんなの力になれたら…」と言ってくれる

 

ファンに寄り添い、ファンを支えようと努力し続け

 

プライベートを犠牲にして走り続けている

 

 

命を削っているかのような全力の歌とダンスをみれば

 

それがよくわかる

 

 

そして、彼ら自身もファンの支えを必要としてくれている

 

ファンの存在に心から感謝してくれているのが痛いほど伝わる

 

 

本当に、本当に素敵な人たち

 

 

私も心から、あなたたちの存在に感謝しています

 

JO1いつもありがとう

 

 

数年前、友人断ちした私の心境は

 

『他人と一緒にいると疲れる』だった

 

疲れることはもう辞めたいと思い

 

当時の友人たちと会うことを辞めた

 

そして友達0人になった

 

 

しばらく一人で過ごしていて

 

私は心底ホッとしていた

 

『他人と一緒にいると疲れる』

 

この考えは今も変わっていない

 

 

でも、心のどこかで

 

本当にわかり合える人と精神的なつながりを持ちたい

 

素の私を受け入れてくれる人と出会いたい

 

一緒にいても疲れない、気を遣わない相手と友達になりたいと思っていた

 

 

そしたら、職場に次々と気の合う人が入ってきた

 

正確に言えば、数年かけて気が合うことがわかった人たちもいる

 

 

 

先日、突然のお誘いで職場の人と一緒に出掛けた

 

どうして突然誘ってくれたのかわからないほど

 

普段は別々の階で働いている人

 

 

その人と一緒にいると

 

不思議なくらい居心地がいい

 

余計な気を遣わなくてもいい

 

 

話がはずんで大笑いしたり

 

何も話さずボーっとしたり・・・

 

昔から知っている地元の幼馴染のような感じがした

 

 

『他人と一緒にいると疲れる』の概念を覆されるほど

 

 

そんな存在と出会えたことが本当にありがたかった

 

 

 

他人と関わるのが面倒くさくて苦手だった私が

 

今は他人という存在にたくさん助けられている

 

 

『友人は必要ない』『他人と関わりたくない』から

 

『私にとって他人は必要なもの』に

 

認識が変わりつつある

 

 

 

しかももっとすごいのは

 

『気の合わない人も時には自分にとって必要』だと思えるようになったこと

 

 

 

昔に比べて人間関係で嫌な思いをすることは格段に減った

 

だけど今でも時々気難しい人に出会うことがある

 

 

これもつい最近の話

 

明らかに相手の気分の問題で

 

私が気にする必要のないことでも

 

その人が言った一言や態度がズーンと心に重くきてしまった

 

 

気にする必要はない・・・

 

だけどやっぱり

 

「なんであんなこと言われたんだろう・・・あんな言い方・・・」と気になってしまう

 

 

昔だったら

 

「ああいう人嫌だよなぁ。もう一生関わりたくない」と思っていたはず

 

心の中で相手を責めて終わっていた

 

 

 

だけど、今回は

 

寝る前にふと考えた

 

じゃぁ、自分がどんな自分だったら軽くかわすことができるだろう??と

 

 

例えば・・・

 

他人には知られていないけど密かに10億円の資産を持っている自分 とか

 

昨日宝くじが当たったばかりで気分がウハウハな自分 とか(お金の問題?笑)

 

 

内容はともかく

 

とても気分がいい

 

大きな幸せを感じている

 

大きな安心感がある

 

心に余裕がある

 

 

そういう自分だったら

 

何を言われても、どういう状況でも

 

はいはい、オッケーオッケー!って軽く流せるような気がする

 

 

何か嫌なことを言われても

 

「でも私、今幸せなんで!(10億円もってますから)ごめんなさいね。

 

あなたの言うことなんて痛くもかゆくもありませのよ。オホホホホ!(高笑い)」

 

終始心の中でこんなことをつぶやきながら、ニヤニヤして終わりそうな気がする

 

 

自分を守るために怒りや悲しみを感じなくてもいい

 

自分というものが損なわれる心配をしなくてもいい

 

攻撃的な相手の言葉や態度を真正面から受け取らなくてもいい

(そもそも相手は攻撃しているなんて思っていない)

 

 

よし!これからは、どんなときも「心に10億円!」を合言葉にしよう!と思った(笑)

 

 

結局は相手は関係なくて、自分の心の状態次第なんだと思う

 

幸せや充足感を感じているかどうか

 

誰が何を言ってきても揺るがない、強くて大きな幸せ

 

それがあれば現実の受け止め方はあっさりと変わる

 

 

 

気の合わない人とか

 

その人きっかけに嫌な思いをしたりする出来事は

 

今の私にはいろいろな気づきをもたらしてくれる

 

 

そう思ったら、今まで苦手だなぁと思っていたようなタイプの人にもありがたみを感じる

 

 

むしろ気づきをもたらしてくれて感謝~!となる

 

 

そんなふうに思えている自分にも

 

「あんた日々成長してるね~!」と自画自賛している

 

 

 

ポジティブな出来事も

 

ネガティブな出来事も

 

全部必要なんだなぁ

 

ありがたいっす

 

 

 

引き寄せの法則では、執着を手放しなさいと言われる

 

執着があると叶わないんだとか・・・

 

執着は手放した方がいいけど

 

執念はあってもいいのかも!?と思ったりした

 

 

執着と執念とどう違うのか・・・というと

 

語彙力がない私にはうまく説明できる自信がないのだけど

 

 

今回のライブチケットの話で言うと

 

当てたい!当てたい!と思っていた(執着)から

 

”当てたいと願っている自分=まだ当たっていない自分”が現実化してしまって当たらなかった

 

何度応募しても当たらず・・・

 

 

だけど、外れても諦めずに応募を続けた(これは執念)

 

結局私自身は当たらず、友人が当ててくれたのだけど

 

何度も応募し続ける私の執念を見た友人が

 

協力してくれて応募をしてくれた

 

 

 

私の最終的な目的は推しの初のドーム公演に行くことだった

 

だけど

 

実はこのことを少し忘れかけていた(笑)

 

 

どういうことかというと

 

応募する→チケットを当てる! という目先のことばかりにこだわっていて

 

そこに執着していたような気がする

 

とにかく自分で当てようと必死だった(そして外れた)

 

 

ライブチケットを当てるという

 

執着していた願いは叶わなかった

 

だけど、ちょっと忘れかけていた一番大切な、最終的な目的=推しのライブに行く は叶った

 

 

よく言われるように

 

願いが叶う手段って本当にこだわる必要がないのだと思った

 

自分だけでなんとかしなくてもいい

 

 

執念って『強い想い』という言葉にも言い換えられると思うけど

 

そういう想いって、自分から外側に向かってエネルギーが発せられていると思うし

 

そんな想いをもった自分の姿を誰かが見てくれていて

 

協力してくれることもある

 

 

そして

 

自分が思い描いていた方法とは別の形で

 

願いがあっさり叶うこともある