今までの生き方を

なぞっていくのではなくて、

この命を、どう使っていきたいのか。

後悔なく。







自分の根っこを変える。

もう、私のハートの泉にあった

今までの私の樹は、

見事に枯れ切ってしまったのを視た。




もう、今までのやり方を手放す時なのだ。


怖くても、不安でも、

もうそれを手放す。



そして、

新しい樹を、植えるんだ。

そして、育てる。



それを、促されているのを分かってた。

でも怖かった。

次のやり方に進むのが。





それでも、私は、もう行く。

さらに上へと。





根本から変えていく。

殻を破る。

それは、勇気と痛みを伴う。

膿み出しも、アク取りも、淡々とやる。

毎日毎日。

そしてそれも出し切ったら、

終わる。そして始まる。






自分の情熱に、命を注いだら

私の人生はどうなるだろうか。



自分の情熱の炎に、

私の命を焚べると、

どんな味がするだろうか?




私は、のほほんと穏やかに生きる事を

望んでいるのだと、

長い事思っていたが、


どうやら、


私の魂は、


燃えさかる情熱に、

この命を使い、

魂の歓喜のなかで

命のダンスを踊ることを

望んでいるようだ。

命を燃料にしてもいい。

この人生をかけてもいい。




もっと躍動して、

情熱的に生きたい。

刺激的な創作活動。

炎のようなアーティスト人生を望んでる。

それに気がついてしまった。




躍動する心臓が、

細胞が、

私を魂の本流に戻そうと

うごめき、ひとつひとつの細胞が

覚醒をはじめ、クリアな意思を表明してくる。





私たちは、

細胞のチカラを借りて体を形作っている。

水の記憶を借りて、生命を繋いでいる。

植物の命を分けて貰い、

動物のエナジーを分けて貰い、

ここ地球の、一員でいさせてもらっている。





私は何のために

細胞のかたまりである

この肉体を借りて

ここに来たのか。


思い出せ。


怠惰を貪る為なのか?

パートナーを探す為なのか?

願いを叶える為なのか?

日々の些細なことに、一喜一憂し、

悩み苦しむ為なのか?

この生活をより良く快適にする為なのか?


「楽しい人生」を送るためなのか?




否。




私は何の為に、ここに来たのか?


「楽しい人生」を送るためではない。

(↑私の魂は、そう答えました。)





それならば、

別の惑星のほうが都合が良いのだ。



(楽しく美しく豊かに平和に生きるのに適した
すでに精神性の高い惑星は
地球の他に沢山あるので。)






を選んだ意味は何?


この肉体を脱ぐ時、

私は何を後悔する?


「絵を描かなかったこと」


(私の魂はそう答えました。
あなたはどうでしょう?)





私は何の為に、生きているのか?

本当の望みは、何なのか?




今、自分が取り組むこと、

今、自分が取り組みたいこと。




過去の澱やアクを全部出し切り、

今を全部やり切っちゃう。

すっきりするほどに。

どこまで徹底的にやれるか。





うわべの望みではなく、

魂の望みを、実行する。







深く潜ると、ずっとそこにあった私の

唯一無二の。








夏至を過ぎ、
ずっと自分の内観をしていました。


沢山の過去の嫌な出来事が
ぷくぷくとお鍋のアクのように浮上して、
びっくりしました。
こんなことまで?って。



その都度、
終わらせたくて出てきたんだね。
って、淡々と掬って流しました。




体のクリアリングもしました。
毒を出し切る作業。

体質を根本から整えている最中です。
すると細胞が元気になってきて、
ひとつひとつの意思を感じました。




焦りや不安、怠さ、眠気。

悶々とする日々はつらかった。

でも、焦って行動はしないようにしました。



ブログも、今日やっと、
本当に書きたいと感じた時に、
こうして書きました。


誰かの為になるような、とか、
望まれる事を、とか、
外側へ向けて、
を一切やめて、

自分の為に行う。
を徹底的にやることにしました。にっこり

↑これについては、さらに別記事で書きたい。





自分の深くへ入っていくことは、

結果的に、世界と繋がる領域にいくので、

「自分の本意」を「極める」

ことにしました。にっこり昇天



それが、今私が取り組むこと。




コトノ




ハートの泉の瞑想は、こちらから。