cswsてんかんの娘の成長記録です。

自閉症スペクトラム&IQ78(境界知能)&緘黙

のため支援級(小学5年生)在籍中。

2023.1月 IQ75 療育手帳B2取得



仕事の面談時に 

「健常児(者)を羨ましく思うのは、私が障害受容を出来ていないからでしょうか。」

と聞かれました。


詳細伏せますが、

ある人に言われたそうです。


う〜ん、どうでしょう…


私も障害児母ですが

同級生の健常児や

小さくてもしっかりしている子ども達を見て


健常児良いな〜すごいな〜

と羨ましいと感じる時もあります。


かと言って

今の現状をすごく悲観しているわけでもないです。


「普通に近付けたい」
とか

「診断をつけてもらわなければよかった」 

 と言った思いも全くないです。


今ある障害を理解して共感してあげて

正しい手立てで成長に導き

本人の能力に見合った山を登らせる(将来設計をする) 


そう思えて試行錯誤しているのなら

『羨ましく思うこと』があっても

障害受容をしているように私は認識しています。



障害児育児を終えた(障害者が成人した)

お母さんでも

「もし健常者だったらどんな感じだったかなと思ってしまうことがある。」 


「我が子が健常者になって夢に出てきました。」


 とかたまに雑談で話されることがあります。 

(重い感じではなく…)


とは言いつつも

多くの保護者は子の障害を受容して

『その子なりの自立』に向けて試行錯誤しているし、

そのような保護者に


『受容できていない』なんて

思ったことは一度もありません。

 

(葛藤に同調することはある。)


羨ましいと思うこと=障害受容できていない 

では決してないと思う。 


人間は欲深い生き物です。


障害児育児に限らず

何かに成功すれば『もっともっと』と思うし

自分やわが子より優れている人を見つければ

羨ましく思うことだってある。




障害を受け入れようとする気持ちと

障害に対する葛藤は別物


どちらも心の中に

共存して良いものだと認識しています。


持ち合わせている感情は

必ず1つである必要はないはず。

複合的なものです。


欲深い事自体は

決して悪いことだけではないですよね。


欲があるからこそ向上心も生まれる。


(ただし障害児育児に限らず、強引に自分の欲望を満たそうと相手を蹴落とそうとする行為で成功することはない。というのは別の話)


障害に限らず

自分にないものを見て

叶わないものを見て

多かれ少なかれ感じるものがあるのでは…


障害があるから他人に迷惑かけて良い。

give and takeになれない状態を知っていて

お互い様です、助け合いでしょ?と言ってみたり、


子に合った養育環境を作っていなければ

当然不快になる人は居て批判する人はいる。


一方で

他人に迷惑をかけていない、

そして障害に寄り添い試行錯誤している以上、


内なる感情の面で

誰かに咎められるものではないよね。


と私は思う。






ここからはどうでも良い話。

分かる人にしか分からない話です。


埼玉へ行ってきました。



閉店時間まで入り浸ってしまったアセアセ


幸せな空間でした。

言語化するのがなんだか勿体ない。