cswsてんかんの娘の成長記録です。

自閉症スペクトラム&IQ78(境界知能)&緘黙

のため支援級(小学4年生)在籍中。

2023.1月 IQ75 療育手帳B2取得


おはようございます。


↑続きです。


まず、娘に「毎日疲れているの?なんで疲れてしまうのかな?」と聞きました。


すると

「支援級はチャイムが鳴ってすぐには授業が始まらない(着席させるのに時間がかかる)から授業時間が短いけれど、通常級はチャイムと共に授業が始まるから長いんだよ。だから通常級より疲れない」


と主張しました。


私は「支援級の方が楽だから〜」という理由で通常級に行かない選択は賛成できません。


学校に行きたくない

→家の方が自由だから


給食当番やりたくない

→遊んで待っている方が楽だから


という理由で学校を休ませたり、

やるべき役割をやらなくても良いとすることはないと思います。


上記は甘えであり、許すのであれば甘やかしと認識しています。


一方で


例えば

授業が難しくてついて行けない

自閉特性故に大きな集団の中だと過緊張になり集中ができない。


などなど、

本人の能力や特性故に健常児と同じことを出来なかったり、他の子より負荷を感じやすい場合は『配慮』をしてあげる必要があると考えます。


授業が難しくてついていけない

→支援級で理解度に合わせた授業を行う


特性故に過緊張になる

→負担を減らすために(負荷が重すぎても有益な時間にはならない)、その都度居場所選択をする


上記は『支援』であり『配慮』だと認識しています。



では娘の言う

「支援級の方が授業時間が短い、通常級は時間通り始まるので学習時間が長いから疲れるなぁ…」はどうだろうか。


特性故に難しいことなのか、

ただ楽をしたいのか。


と考えると楽な方に流れているように感じます。


皆が遊びを継続している中、自分は切り替えて通常級に勉強しに行かないといけない。


支援級にいる子達を羨ましいと感じるかもしれません。自分もその中に混じっていたいと葛藤する状況だということは理解しています。


だけれど

できることはやらないといけない。


支援級の子達は進路も様々です。

誰かが良しとされているから、自分もやって良い理由にはなりません。


誰かに引っ張られることで娘が持ち合わせている能力を最大限発揮できないのであれば、居場所を考え直さないといけません。(支援級が適当なのは重々承知ではあります。)


また、娘の語彙力は年齢相応ではありません。

遊びから帰ってきても「疲れた」というし、ゲームをしていても「疲れた」と言います。


楽しく遊んで身体的に疲れた

楽しいけどちょっと飽きた


という思いでも「疲れた」と言うし、


本当に精神的に疲れきっているときも「疲れた」と言っています。


そして

先生に疲れた〜というときも

そのうちの全てが

行きたくないという思いではなく、

頑張っていることを認めてもらえたり

大変な思いに共感してあげるだけでも

満足できる時はたくさんあると思っています。


なので「疲れた」の一言で

『じゃあここ(支援級)にいれば良いよ。』


という声掛けはちょっとミスリードかなと思ったことを伝えました。


甘えているのか

配慮をしてあげたほうが良いのかは

その時々で違います。


先生を信頼し甘えてきているときは、共感し励ます手段で寄り添って頂ければ良いし、本当に配慮が必要なときは、私の反応なんて気にせず先生が思う『配慮』をして頂ければ良いと思います。


「通常級に行かなくて良い」と言うことだけが寄り添うことではありません。

共感したり頑張りを認めてあげるだけでも寄り添うことの1つだと思っています。


甘えているのか

特性故に負荷が掛かりすぎているのか


を見誤ってしまうと『配慮』ではなく『甘やかし』になってしまいます。


ただ、娘の言語表出がまだ幼いので

見極めるのが難儀であることについては認めます。


それについても促し方次第であり、

少なくとも

「疲れたなら休んでも良いよ。」

との声掛けでは娘に言語表出を促していることにはならないと思っています。


また書きます。


最後まで読んで下さり、

ありがとうございましたおねがい

 

安かったので買ってみました。

裏起毛の生地が本当になめらかで

娘が顔にスリスリしている滝汗


アイボリーとかカーキが好きでいつも同じような色を買っている気がする笑い