難治てんかん児のパパ日誌 -151ページ目
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救急病院探し

2008年5月25日(日)

まず、7ヶ月余り前に出産したS病院に電話した。S病院は救急診療はやっていないとのことだったので、消防庁災害救急情報センターを紹介された。情報センターで紹介されたのはK病院とM病院。

ちょうど、その週の日経の1面に特集されていたM病院に連絡することにした。

M病院に電話して、救急で受診する必要性があるのかと聞くと、「来れるようなら、来てください。」とのことだった。

簡単に救急診療を受ける人が多くて問題になっている昨今、「いま診せに行く必要はありますか。」と、多少は気を使って連絡したつもりだったが、「来れるようなら~」と言われれば、子が心配な親なら連れて行くに決まってる。

このとき、ゆうとはずっと寝ていたので、起こさずに妻に家で付いていてもらった。

かいとをチャイルドシートに乗せ、車で15分ほどのM病院に急行した。

初めてのけいれん発作

2008年5月25日(日)

深夜、家族4人が寝ていると、ベビーベッドにいるかいとの呼吸の乱れで、私と妻は目が覚めた。“けいれん”というよりは、呼吸困難で体を震わせているようだった。過呼吸のような感じ。目を開いたまま呼吸困難は1分程度続いて、その後治まって寝た。発作中は意識がないようで、呼びかけにも反応しなかった。

※入院してからは発作の様子、発作の時間などを観察していたが、この時は細かく記録していない。

治まった後は何事もなかったかのように寝たし、なんとなく小児特有のけいれんなんだろうと根拠なく考えていた。

ただ、単発で終わるものなのか、対処として放置しておいていいのかがわからなかったため、すぐ病院を探すことにした。

かいとと家族について

■はじめに
まず、現在手術が終わって1ヶ月が立ち、術後不安定な時期はありながらも近頃は1日数回軽い発作がある程度(発作がない日もある)です。

術前は毎日数十回大発作があった状況でしたが、ここにきて落ち着いてきたので、今までの経過を整理しようと思いました。

また、同じような境遇の方がいらっしゃれば、何かのお役にたてるか、せめて共感できるだけでも支えになるかなと思い、ブログにアップすることにしました。

半年以上前の情報からスタートしますが、そのうち追いつくと思います。


■家族構成
私 1976年2月9日生まれ 千葉県出身 会社員
妻 1975年4月21日生まれ 東京都出身 主婦
長男ゆうと(仮名) 2005年10月29日生まれ 東京都出身
次男かいと(仮名) 2007年10月9日生まれ 東京都出身


■産まれてからの様子
かいとは約4000gで産まれ、元気で大きな赤ちゃんだった。他の子と変わらなかったし、性格の違いはあっても発育はゆうとのその時とも変わらなく見えた。

私は二人目ということもあって、正直ゆうとほどには面倒をみなかったが、ごく一般的な家庭だったと思う。
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