昨日
「わたしにはなにもない」という記事を書いた後で
そういえば
オーラソーマでクリアの色彩の言語を
学んだ際に
一番すうっーっと入ってきた言葉
真珠貝の苦しみ
自分にはほしくないものしかないじゃないか………
「痛み」がある
「不自由さ」がある
「苦しみ」がある…
それはただ手放す、という決断さえ出来れば
手放すことが出来る、というものではない。
そこにあるテーマは「手放す」ということではないから。
ただそこにあるのは「刈り取る」
自分でまいた種は
どんなに気に入らない花しか咲かなかったとしても
自分で刈り取らなければならない。
ここのプロセス「苦しみと苦しみの理解」を通らないことには
どうにもならなかったんだと思うんです。
浄化、純化、クリアーにする
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「透明で無限な可能性のワーク」
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