自分の捲いた種は、自分で刈り取らねばならない。恵理子は何かを狙っている。俺にそれを防げることができるか。「ハム取り紙の江藤」の名に懸けて、阻止してみせる。江藤は今朝の新聞紙を読みながら改めて決意した。そして、デスクの電話をとった。「やあ、久しぶりだね、ザミール」
「ざっと1週間ぶり、ってところかな。元気かい、コウ」
受話器の向こうから、流暢なキングス・イングリッシュが聞こえてきた。ザミールは、イスラエル諜報特務庁、通称「モサド」の最も優秀なエージェントのひとりだ。江藤はCIA留学中に同じく留学中だったザミールと知り合った。ザミールは見た目も中身もイスラエル人で、江藤も同じく典型的なアジア人だった。ヒスパニック系が多いこの地域でマイノリティだった二人が親しくなるのに時間はさほどかからなかった。江藤が日本に戻った後もザミールはモサドのワシントン支局の責任者として活躍しており、彼からの情報は非常に有益だった。CIAとモサドはある種提携関係にあり、日本の片田舎で起こった出来事まで把握しているほどである。
「元気でもない。実は復帰することになった」
「そりゃあ日本にとってはめでたいことじゃないか。コウの能力は、ワイフを探すために使われては国益が損なわれるからね」
「相変わらず、言ってくれるね。復帰することとなった理由はわかるね?」
「例の細菌兵器騒動だね?」
「そうだ。実はザミール、この細菌兵器については少し心当たりがある」
「ほう。恐ろしいことをさらりというね。君のことだから大丈夫だろうが、安全な回線なんだろうね?」
「盗聴されることはない。この細菌兵器については、数年前に噂があったことをふと思い出した」
「数年前・・・。まさか福音の会?」
「そのまさかだ。確か当時、君にもレポートしたと思う」
「完成させてしまったということか?成分だとか、殺傷能力だとか、そういった情報は」
「まだない。だから君に電話したのさ」
「確かに、いま貴国が中韓に接触するのは得策ではないな」
「その理由はちょっと違うな。君のほうが優秀だからさ」
江藤がそういうと、二人とも笑った。
「オーケイ、我がモサドも興味ある事案だからね。心当たりに聞いてみよう」
ザミールはそういうと、フックをおろした。お互い、無駄な時間を嫌う性格だった。それにしても、と江藤は思う。自分の予想が当たりこの事件の黒幕が福音の会だとすると、妻はどこまで関与しているのか、考えるだけで恐ろしかった。細菌兵器が日本の国際問題に発展する前に、必ず阻止しなければならない。緊張で手が震えているのに気づいた。3年前にやめた煙草を、これほどほしいと思ったのは久しぶりだった。
(つづく)
※応援コメント、どうぞよろしくお願い申し上げます。
※以下より、登場人物メモです。ネタバレのおそれがあるため、
以下閲覧注意です。
・的場英二:
S県警刑事局捜査1課所属。32歳。やせ形、筋肉質。伸長189センチ、体重78キロ。切れ目で高身長で一見もてそうな容姿をもつも、近寄りがたい空気を醸し出しており、友人も少ない。独身。ストイックで、禁酒・禁煙をしている。毎日8キロのジョギングが習慣。恋人は何年もいなかったが、事件を通じて恋に落ちる?
・江藤光太郎:
警視庁公安部所属。55歳。中肉中背。172センチ、体重75キロ。薄毛。妻恵理子は行方不明となり、失踪宣告した。娘の恵だけが生きがいだが、親子仲は悪い。粘着質のように仕事を進めることからハエ取り紙、公安部の略称「ハム」とあわせて「ハム取り紙の江藤」の異名をもつ。妻失踪後、仕事の情熱を失っていたが、今回の「福音の会」事件で妻が信者であったことを知り、情熱を燃やす。しかし、事件に配偶者が関わっている可能性があることから担当からはずされる(忌避)。それでも、独自に捜査を進めていたところ、的場と出会う。
・江藤恵
光太郎の娘。25歳。伸長162センチ、体重51キロ。父とは微妙な関係だが、父を嫌いなわけではない。目鼻立ちがくっきりしたかわいらしいタイプ。夜遊び・外泊を繰り返していたが、的場と知り合ってからは、真面目になる。母が失踪したことで、愛情に飢えている。自分のせいで失踪したのかと思いこんでいる。
・毒島寛
警視庁公安部所属。197センチ、体重87キロ。巨大な体躯。江藤とコンビを組んでいたが、江藤が担当を外されたことで、別の人間(中本重徳)と組む。しかし、江藤に同情する彼は、江藤から度々頼まれごとも、快く引き受けている。温厚で気さくな性格。
・杉本冴
S県警刑事局捜査1課所属。30歳、バツイチ。172センチ、54キロ。的場の仕事上の相棒。つっけんどんな対応しかしないのは、古傷が癒えていないからである。的場のことを気になりつつも、必死に一線をひく。女性と子供には優しい。
・綿貫博一
的場の同級生。眼鏡をかけており、ポッチャリ型。168センチ72キロ。おっとりした性格と信念を貫く強い面を併せ持つ。福音の会にハニートラップを仕掛けられた末、研究者としてからめとられることに。ゴモラソドムの開発者。研究者としてのエゴが人間としての良識を上回り、ゴモラソドムを開発してしまうも、良心に苦しみゴモラソドム消滅を図ろうとして組織に殺される。