【ありがとう】 | 相武万太郎オフィシャルブログ「六転び七転び八転びROCK。」(音楽、小説、酒)

相武万太郎オフィシャルブログ「六転び七転び八転びROCK。」(音楽、小説、酒)

ベッキーがテレビに出てるとチャンネルを変えてしまう男が、好きな音楽や小説を語ったり書いたりらじばんだりしています。音楽は洋楽ロックメインだったが最近はハロプロ大好きです。特にANGERME。

「うるさいんだよ!」これが私が母に放った、最期の言葉だった。


ちょうど私は苛々しており、ぶつけられる相手が母しかいなかっただけの話である。母に責任などない。その日、母は勤め先の工場で倒れてそのまま還らぬ人となってしまった。


殺風景な葬儀を終え、父と私はアパートで残務を黙々とこなした。しばらく店屋物をとっていたが、濃い味つけに飽きた私が、自炊した。悲しくても空腹を感じ味にこだわるる自分が何だかおかしかった。普段会話慣れしていない父が、とってつけたように言う。「なかなかの味付けじゃないか。なぁ、かあ…」父は押し黙り、味噌汁を啜る。母の死を今気づいたかのような沈黙が、父の視線を泳がせ、やがてとまった。


「お前に渡すものがある」


父はジャケットのポケットから真新しい封筒を私に押しやった。母からの手紙だった。

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この手紙をあなたが読んでるということは、私はもうこの世にいないということ。あなたにはきちんと話す時間もなかったから、手紙を書いて、父さんに渡しておきます。私の懺悔を聞いてください。

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そこには、母は一年前から具合が悪かったこと、病院にもいかなかったこと、共働きで遊んでやれなかったことなど、ひたすら謝罪ばかり書かれていた。だが私は到底、母を許すことなどできなかった。


決して家計が豊かといえなかった我が家、母は朝から夜まで工場で働き、深夜まで別にパートをしていた。私は早く中学を出て働きたかったが母が大学まで出ろと言ってきかなかった。


私は母の期待に応えることができずに目的のない専門学校生となっていた。


どうして体調が悪いと言ってくれなかったのか。私は母にもっとしてあげられたことがあったことを思うと不甲斐ない自分が浮き彫りとなり、やるせない気持ちでいっぱいだった。


手紙によれば、母は、私の知らないところで、専門学校生となった私を自慢していたようだ。私のでっち上げたほら話を信じて…


私はなんて馬鹿なんだ。ごめんねの一言すら言えないなんて。


封筒の中から、小さくたたまれた紙がぽとり、と落ちた。


それは幼少の頃、私が書いた母の似顔絵だった。母は、私のイラストレーターになるというほら話を、こんな絵で信じきっていたのだった。




似顔絵の母は、私に笑いかけていた。