【真・日本史⑧】藤原氏の正体と陰謀
前回のおさらいを兼ねて、少し聖徳太子の話に戻すが、聖徳太子は第31代「用明天皇」と「穴穂部間人皇女」の皇子として誕生した。
用明天皇の母も穴穂部間人皇女の母も秦氏一派の蘇我氏で、聖徳太子は秦氏の人間なのだ。
ここでいう聖徳太子は「厩戸王」のことだが、あと2人の「蘇我馬子」と「秦河勝」も秦氏である。
考えられることは1つしかない。
秦氏は「原始キリスト教徒」の末裔だが、その中でも聖徳太子は「レビ族」だったのだ。
その聖徳太子が「ユダヤ教レビ族」の忌部氏の中の賀茂氏と団結し、「秘密結社ヤタガラス」を組織した。
その証拠に、後世、秦氏の祭祀氏族(レビ族)も「賀茂氏」を名乗るようになっている。
尚、レビ族とは、モーセの兄「アロン」直系の祭司氏族である。
もう少し分かりやすく説明すると、賀茂氏が「忌部氏の中の賀茂氏」になったように、秦氏のレビ族は「賀茂氏の中の秦氏」となったのだ。
「アマテラスの義弟たちは渡来系の力も借りて出雲族を封印した」
(宇宙神霊アリオン)
その渡来系が「秦氏」であることは明白で、原始キリスト教の密教カバラを悪用して、出雲族の封印を強化したのだ。
賀茂氏は「裏神道」の元締めで「陰陽道」の大家だが、陰陽道を成立したのは「秦氏レビ族」であることは間違いない。
陰陽道は「陰陽五行説」を基にして、日本で独自に発展した呪術・占術の技術体系だが、「艮の金神(出雲族)」を鬼門に封印したのが陰陽道の呪術である。
話を整理すると、日向族は「ユダヤ人ユダヤ教徒」の末裔で、後に渡来した秦氏は「ユダヤ人原始キリスト教徒」の末裔であり、秦氏が日向族と同化したのだ。
当然ながら、両者の祭司氏族で特権階級を持つ「レビ族」も同化し、秦氏レビ族も「賀茂氏」を名乗るようになった。
その中の秘密結社が「ヤタガラス」で、トップ3人が真の闇帝王である「裏天皇」として君臨しているのだ。
さて、聖徳太子は聖人で偉大な予言者ではあったと思うが、出雲族を封印する「悪の御用」の功績も大きい。
聖徳太子は神代の古文書を「大量焚書」して、日本の古代史を抹消したというのは有名な話だ。
それは神武天皇の即位を紀元前660年と定めたからで、日向族に都合の良い歴史を捏造するためでもあった。
蘇我馬子も物部守屋(出雲族)を殺害し、大量の古文書を焚書したことで知られている。
また、聖徳太子(蘇我馬子を含む)は崇仏派で、大乗仏教の普及を推進した。
大乗仏教が悪い教えだというつもりはないが、それによって日本古来の「かんながらの道」が閉ざされ、日本の民族的エネルギーが失われていったのだ。
それが『日月神示』のいう「五度目の岩戸閉め」である。
また、悪名高くて有名な「藤原不比等」は、『記紀』を編纂・改竄した中心人物として知られているが、おそらく聖徳太子の指示だったと考えられる。
この藤原不比等の「歴史捏造」によって、日本の正史と出雲の神々は完全に闇に葬り去られたのである。
聖徳太子と藤原不比等は何かと深い関係にあるが、不比等の父は聖徳太子をバックに持つ「藤原鎌足」で、おそらく不比等は「聖徳太子の孫」なのだ。
証拠はないので断定はできないが、実際に不比等は「聖徳太子の後継者」のような人物である。
聖徳太子の3人の中の誰の孫かまでは分からないが……、ここで興味深い話をしておきたいと思う。
藤原鎌足の元の名前は「中臣鎌足」だが、少し歴史に詳しい人なら違和感を感じるはずだ。
「中臣氏」は忌部氏とともに天皇に仕えてきた祭祀氏族(レビ族)で、本来は歴史の表舞台で活躍する一族ではない。
唯一、「タケミカヅチ」がフツヌシと共に出雲族との抗争で活躍したくらいである。
歴史マニアの間では、中臣鎌足は百済の王子「豊璋」だという説が支持されているが、それは違うという根拠を並べて過去のブログで発表したことがある。
では、中臣鎌足とは、一体何者なのか……。
西暦614年、中臣御食子と大伴智仙娘の子として生まれたが、鎌足は聖徳太子の「夢殿」に自由に出入りできたと言われている。
もしかすると実際には「聖徳太子の息子」だった可能性もあるが、血縁関係はともかくとして、聖徳太子と中臣鎌足は親子のような関係にある。
聖徳太子は「秘密結社ヤタガラス」を結成した秦氏であり、「賀茂氏の中の秦氏」となった人物である。
当然ながら、「忌部・賀茂氏」と深い関係にあり、混血によって一族の結束も固められていった。
そこでまず、中臣氏と忌部氏の関係について理解しておく必要がある。
忌部氏の祖は「フトダマ」だが、中臣氏の祖は「天児屋命(コヤネ)」である。
どちらも天照大神の「岩戸開き神話」に登場する神なので、名前くらいは聞いたことがあるだろう。
日本に渡来したときの日向族の族長は「イザナギ」だった。
その頃に祭祀を司っていた中心人物の名は、「天御中主神(アメノミナカヌシ)」だったらしい。
実際にそんな名前で呼ばれていたのかどうかは知らないが(笑)、「忌部氏」の系図が記された『古語拾遺』を元に考えると、そういうことになるのだ。
で、アメノミナカヌシには3人の子がいたという。
タカミムスビは「アマテラスの先夫」で、その弟たちがアリオンの言う「アマテラスの義弟たち」ということになるが、正確にはその子孫も含める。
津速産霊神の子が「コヤネ」(中臣の祖)
神皇産霊神の子が「フトダマ」(忌部の祖)
そうすると、タカミムスビの子が「オオクニヌシ」で、オオクニヌシの子「タケツノミ」が忌部氏に養子に入った可能性が一段と強まるが、こればかりは検証のしようがない。
いずれにしても「忌部氏」が中心勢力となり、その中でも神武天皇からの祭祀儀式を担ってきた「賀茂氏」が最高権威を持ったのだ。
「中臣氏」は影は薄いが忌部氏と同族で、聖徳太子の3人の誰かと血縁関係を持ったと考えられるのである。
そして中臣鎌足が誕生し、聖徳太子と同じく歴史の表舞台で活躍し、やがて藤原不比等が誕生。
そこから藤原氏は娘を天皇の后とし、その子を天皇にして、天皇家の中枢に食い込んで権力を掌握していったのだ。
今さらだが、アリオンは渡来系について「桓武天皇」の名前を挙げているが、「秦氏」のことは語っていない。
桓武天皇の母は百済人で、桓武天皇の時代から天皇の側近や朝廷の高位には朝鮮半島からの渡来人が数多く登用されるようになった。
それによって日本は徐々に朝鮮勢力に牛耳られ、日本の民族的エネルギーが衰退していったという。
それに輪をかけて、桓武天皇も仏教を奨励し、日本の国民は神道から仏教へと心移りしていったのだ。
また、桓武天皇は坂上田村麻呂を征夷大将軍として、「蝦夷征討」のために東北に派遣した。
アリオンによると、この時に殺された蝦夷の多くは「出雲族の子孫」だったという。
その一連の出来事も「出雲族と神々の封印」だが、桓武天皇のバックには「藤原氏」がついていて、藤原氏の黒幕が「秦氏」であり、その中枢が「賀茂氏」なのだ。
封印された歴史を紐解くためには、この構想の本質を理解しておく必要がある。
少し余談だが、藤原氏の子孫は現在は藤原姓を名乗っておらず、【摂家】と呼ばれる5家(近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家)となっている。
以下、ネットで検索した情報だが、現在の摂家の当主の職業である。
【近衛家】
現当主は細川元首相の実弟で、細川家の人間だが母親が近衛家の娘で、日本赤十字社の社長で、国際赤十字・赤新月社連盟会長を務めている。
【九条家】
現当主は平安神宮の宮司を務めている。
【二条家】
現当主は新官であり、実業家でもある。
【一条家】
現在の当主は弁護士だが、2014年に桂宮宜仁親王の喪儀で司祭長を務めた。
【鷹司家】
徳川の親類からの養子で、伊勢神宮の大宮司を務めている。
戦後、華族制度がなくなって、一般人となったが、大名家や皇族との婚姻関係は現在でもあるそうだ。
私の祖母は茶道の家元で、京都の神社仏閣の宮司や住職と親しかったので、色々な情報を得ていたようで、昔は私も色々と聞かされたものである。
二条家の支流で【冷泉家】というのもあるが、20年以上前に聞かされた話では、京都で最も権力を持っているのは「一条家」「近衛家」「冷泉家」とのことだった。
もちろん賀茂氏が日本最大の権力者で、秘密結社「ヤタガラス」はフリーメーソンどころではない権力を持っている。
何しろ、ヤタガラスのトップは天皇家の実権を握る「裏天皇」であるから、当然といえば当然だが……。
少し話を戻すが、「タケミカヅチ」も中臣氏だったが、ここで「出雲の国譲り」の時代に遡る。
【真・日本史⑥】と重複するが、簡潔にまとめておこう。
アリオンによると、国譲りの真相は「オオクニヌシの相続権争い」で、オオクニヌシの死後に発生した問題だという。
オオクニヌシの後継者として「出雲・日向連合国」の王になるのは、出雲の「タケミナカタ」か、日向の「コトシロヌシ」か……。
そこで、日向国が独立する動きを見せ、幼いコトシロヌシを正統継承者として立て、アマテラスが代行で女王となった。
出雲国は「タケミナカタ」が王として治めていたが、日向国の独立によって出雲国は衰退していたという。
逆に、日向国は軍事力を高めていて、西暦220年頃にニギハヤヒが崩御したタイミングで出雲国に侵攻した。
【西暦220年頃】
ニギハヤヒが崩御して三輪山に埋葬される。
日向国が出雲国に侵攻開始。
その時の日向の三大武将が「フツヌシ」と「タケミカヅチ」と「コヤネ」で、彼らは祭祀氏族だが武将でもあったのだ。
【タカミムスビの弟】
津速産霊神の子が「コヤネ」(中臣の祖)
神皇産霊神の子が「フトダマ」(忌部の祖)
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フツヌシ(フトダマの子)
タケミカヅチ(中臣氏)
それで出雲国は日向国の手に落ちたというのが、「出雲の国譲り」の真相なのだ。
その国譲りの前に、フツヌシとタケミカヅチが、日本の歴史を揺るがす「殺神計画」を企てていた。
それは日本史最大のミステリーなのだが、次回の記事に譲りたい。
出雲族を「国津神」と言いますが、
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