■冥王星のオコツトによると、
「宇宙の根源的二元性は神と人間」
とのことです。
神と人間を二元等化するためには、
神と人間を繋ぐものを知る必要があります。
タイトルの「大天使ミカエル」とは宇宙神霊アーリオーンのことです。
正確にいうと、アーリオーンはミカエルの一顕現だといえます。
「私は大天使ミカエルであるが、アーリーオーンの名の下に何かを行う時は私は大天使ミカエルの総てでは無く、その力の権限の一部の行使だと判断して欲しい」
アーリオーンはこう言っています。
「カミとヒトの間にはコメとツチがある。
カミはコメとツチによってヒトを養い、
ヒトはツチに働き、
コメを供することでカミと交わる」
「万物霊象、精霊のこだま。
カミとヒトの間の万物の移り替わり。
これらは全て、カミとヒトとの間の契りの移り変わりを示す。
日本の民がコメとツチを失い始める時、流砂の中の磐としての列島は、 流砂の流れに止まることを忘れるだろう。
大地が血を噴き上げ、その身体をよじって嘆く時に、木々も身を潜め、 鳥は住処を失うだろう。
ツチとコメを蔑ろにすることの先にあるものは、ツチの無い大地と 実りの無い稲刈りだ。
これを、そのままカミとヒトとの契りの言葉に直すと、中身の無い身体と、 創造の期待の出来ない人間関係だ。
つまり、肉体があっても肉体の機能の低下した人間と、生殖器があっても、 子を成さない男女関係、そして目的の無い破壊だ。
これはカミとヒトとの契りであって、カミの一方的な怒りの表現では無い。
一人一人の顕在的・積極的・意志的な契りでは無いが、 ヒトは、その意図と予定を自分たちの大地に表現することになっているのだ。
あなたがたが、よく話題にするナスカの地上絵も、契りの表現の一つだ。
古墳や大規模な石造建築も同様だ。
大昔から、ヒトはカミと契りをしてきた。
カミ・コメ・ツチ・ヒト、これが基本的な世界の構図だったのだ。
カミは神ではない。
カミは人間の似姿ではない。
カミは、万物霊象のオコリだ。
ヒトがオコル時、カミである万物霊象のオコリである揺すぶりを受けていた。
しかし、今、ヒトは人間となり、オコリでは無くイカリを表現する。
オコリとイカリは異なる。
オコリは大きなカミの身体的な揺すぶりであり、イカリは小さな局部的な滞りだ。
あなたがたは、恐らく上記のことを論理的に解釈しようとしても 理解は出来ないだろう。
あなたがたの中にある、カミ・コメ・ツチ・ヒトが理解するのを待たねばならないだろう」
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20180109/01/tenka-yotarou/a9/cd/p/o0960053814108312699.png?caw=800)
単純に「カミ」は神と同義ではなく、
「ヒト」は人間と同義ではありせんが、
神人合一あるいは天人合一への道として、
アーリオーンは一種の内観法を説いています。
「カミ」「コメ」「ツチ」「ヒト」とは何か?
まず「カミ」だが、これは擬人化された「神」ではなく、森羅万象、大自然、宇宙の理(コトワリ)といった、生業(ナリワイ)の元と考えて欲しい。
次に「コメ」だが、これは「カミ」が「ヒト」との間に置いた契約の証と考える。
それ自体は、稲の米と同じ音で「米」の意味もあるが、ここでは大きく「収穫物」「収益」という風に考えてもらいたい。
それから「ツチ」。
これはやはり「土」と同じ音だが、単なるツチクレという意味の「ツチ」ではなく、「カミ」と「ヒト」との間の契約の証を母胎というふうに考えてもらいたい。
大地としての意味も社会や場の意味も含むものと考えて良い。
そして「ヒト」だが、これは「人間」という意味の、間に科学絶対主義の入り込んだ存在という意味ではなく、大自然としての「カミ」と対峙する存在としての「ヒト」という意味がある。
自然の営みの中の一部としての自然な存在が「ヒト」である。
この「カミ・コメ・ツチ・ヒト」は、一人一人の人間の生活の中に当てはめて考えることが必要だ。
それと同時に本来の「カミ・コメ・ツチ・ヒト」を考えることが一番望ましい姿勢だと言える。
つまりあなたの「カミ」とは何か?
あなたの生活の中の大自然と関係は何か?
それが現在のあなたの中の「カミ」を表す。
「コメ」とは何か?
あなたの生活の中の収益とは何か?
「ツチ」は?
あなたの生活の基盤や生活の場、職場、これらがあなたの「ツチ」だ。
そしてあなたの「ヒト」は何か?
あなたの生きている毎日の中で「ヒト」と対峙する自然な存在である自分。
それがあなたの中の「ヒト」なのだ。
こういう風に、自分の生活の中で「カミ・コメ・ツチ・ヒト」を考える。
そして同時にもう少し大きな視野で、例えば日本という国の「カミ・コメ・ツチ・ヒト」を考える。
という風に次第に大きな視点での「カミ・コメ・ツチ・ヒト」を見つめる。
この二つの視点で「カミ・コメ・ツチ・ヒト」を考えるということが、必ずあなたに今まで気付かなかった視野をもたらすだろう。
自分のことを識る努力は、即ち「自分を見る=世界を見る」という行為に繋がる行為だ。
僕はこの本を持っていないので内容を知りませんでしたが、「カミ・コメ・ツチ・ヒト」というアリオンの言葉だけ知っていました。
今回、「カミ・コメ・ツチ・ヒト」で検索して出てきたものを転載したのですが、こんな内観的な話だとは思いませんでした。
ちょっと抽象的な話で理解しづらいので、この考え方に基づいて内観するのは難しいものがありますね^^;
日常的な習慣には出来そうにない感じですが、とりあえず「カミ・コメ・ツチ・ヒト」について考えてみましょう。
『自分のことを識る努力は即ち
「自分を見る=世界を見る」
という行為に繋がる行為だ』
(アーリオーン)
まず、自分で考えた後に、誰かと意見交換するといいと思います。
最初から人数が多いと混乱を招くので、最初は2人からスタートするのがいいと思います。
「自分を観るということは、先ず自分の言葉で自分のことを語ることから、そして他者にそれを伝えることから始まる。
他者の反応は自らのものとは異なる筈だ。
どこがどう異なるのか?異なる点について自分は、どう感じるのか?
そうした事柄を誠実に会話する努力無しで、一般論を持ち出していては、自分を観ることから遠ざかることになる」
他者の反応は自らのものとは異なる筈だ。
どこがどう異なるのか?異なる点について自分は、どう感じるのか?
そうした事柄を誠実に会話する努力無しで、一般論を持ち出していては、自分を観ることから遠ざかることになる」
■僕は現在、ヨシエルとチバレンジャーそれぞれと意見交換をしています↓
真面目な話をしてる時に漬け物って![笑い泣き](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/063.png)
![笑い泣き](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/063.png)
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