人生最大のテーマ「生死解決」と天流れと直感について | 愛とエロスのLEGEND SOLDIER【覚醒戦隊GODZIGENGER】幸福の超科学の言霊実現党

愛とエロスのLEGEND SOLDIER【覚醒戦隊GODZIGENGER】幸福の超科学の言霊実現党

地球の次元上昇を使命に人類の人間型ゲシュタルトを破壊する善悪統合のHERO!
衆生回向を願って適当戦隊イイカゲンジャー的に生きている自称半覚醒者・与太郎の
愚鈍な「悟りバカ日誌」で一般常識や固定観念を破壊してエロミナティの世界へ誘います♪

 

前回の記事の冒頭で次のように書きました↓

 

 

【前々回の記事で「明日死ぬとしたら」と書きましたが、

「今ココ」の生き方に反するという意見があったので、

前も書いたことがあるけど改めて説明しておきます】

 

 

よく考えると……ですね、

「明日死ぬとしたら」を突き詰めることで、

「今ココ」の生き方が分かると言いたいのです。

 

 

「死」を想定することは、

ネガティブな気がするかもしれませんが、

では何故そういう気がするのかを内観し、

自分の観念を調べてみてください。

 

 

バシャールは霊的な存在ですが、

バシャールの世界にも死はあるようで、

誰かが死ぬとお祝いをするそうです。

 

 

一般的な人間の観念では死は終わりで、

永遠のお別れというイメージがあり、

とにかく悲しく辛いことという風潮があり、

目を背けて考えないようにしたがります。

 

 

しかし、死は4次元意識の覚醒であり、

霊界での誕生のようなものだと言えます。

 

 

土の中で生きていた幼虫が地上に出て、

脱皮して成虫になるようなもので、

実際のところは何てことはないのです。

 

 

魔界みたいな所に行ったら最悪ですが、

死後どんな世界に行くかが最も重要で、

その為に今どのように生きるかであり、

「明日死ぬとしたら」を胸で考えるのです。

 

 

僕の場合は答えは毎日同じで、

今与えられていることをやるだけです。

 

 

自我的には何も楽しいことはなく、

実家に住んでいたときも母親に、

「毎日何が楽しくて生きてるの?」

と、よく聞かれていました。

 

 

が、半覚醒していると、

何もしていなくても幸せだし、

マザー・テレサでも真似できないような、

自我では大変な思いをしている作業も、

魂では歓喜を感じる生き甲斐なのです。

 

 

今も5日間シャワーを浴びていないから、

頭が少し痒くてシャワーを浴びたいし、

4日間まともに食事をしていないから、

ニューメンでも作って食べたいと思うし、

眠いから今すぐにでも寝たいです。

 

 

が、ブログ更新と相談メールの返信など、

今与えられている仕事が優先なので、

言ってみれば自己犠牲の生活をして、

それを7年くらい続けているわけです。

 

 

免許の更新も早く行きたいけど、

それで半日は時間を潰してしまうので、

なかなか行くことができずにいます。

 

 

最近のことですが、

寄付(返すつもりなので投資)があったので、

それで滞納中の家賃は払えますが、

Y先生のFXの受講料として確保しています。

 

 

管理会社の取り立ても煩くて迷惑を掛けていて、

誠に申し訳ない気持ちでいっぱいですが、

本来はそれ以上に支払いが心配だと思います。

 

 

滞納中の今月分の家賃が払えるかも分からず、

来月の収入が0円の可能性もあるわけですが、

神に与えられた仕事を淡々と坦々としていれば、

「なるようになる」という信念があり、

それは過去の人生が実証しています。

 

 

少しでも不安や心配の気持ちを持ったり、

「何とかしなければ」と思って頭で考えて、

自我で何か行動に移すのは許されない事で、

見通しの神に背いて運命に逆らうことになり、

今までの忍耐と苦労の反省期間と菩薩行が、

全てが水の泡となってしまいます。

 

 

僕が言っていることは、

「宇宙に全託する」という生き方です。

 

 

宇宙は実体ではないので、

正確には宇宙ではないのですが、

分かりやすくいうと見通しの神にお任せで、

使命を全うしていればそれでいいのです。

 

 

太古の道案内人氏は、

「宇宙に全託」を否定していますが、

その主張もよく理解できます。

 

 

流れに任せることも大切ですが、

流れに任せるだけではいけないし、

それはもちろん僕もそうであり、

僕自身も流れを作っていくのです。

 

 

太古の道案内人氏が批判しているのは、

スピリチュアル界の「宇宙に全託」です。

 

 

同じ言葉でも次元によって捉え方が異なり、

僕の主張は案内人氏も分かるはずで、

案内人氏の主張も僕は分かります。

 

 

僕はスピリチュアル界の人間ではないし、

「宇宙に全託」と言っても根本的に異なり、

単なる思想や現実逃避や怠慢などではなく、

「神に対する絶対的な信頼=真の信仰」

で、これは半覚醒の絶対条件だと思います。

 

 

かつて書いたことがありますが、

半覚醒には複数の条件がありますが、

意識の問題で3つの自殺行為があります。

 

 

その1つは簡単であり難しくもあるので、

「簡単=難しい」ということになりますが、

3つの条件の全ては「自殺行為」です。

 

 

1つは、いつも書いているとおり、

「明日、死ぬとしたら」という自問自答で、

もう1つも、いつも書いているとおり、

「命を捨てて世界に貢献する覚悟」で、

この2つは連動しています。

 

 

もう1つが前述の「宇宙に全託」ですが、

宇宙の本質は自分の魂とも言えるので、

「魂の使命」に従うこということであります。

 

 

魂はハイヤーセルフの分霊なので、

結局は見通しの神(ハイヤーセルフ)の、

ロボットになって服従するということです。

 

 

道案内の人が警告しているとおり、

今のスピリチュアル界では、

「宇宙に委ねる」とか「流れに任せる」

という言葉が流行っているようです。

 

 

自我(自分の考え)だけで生きている人は、

その教えを鵜呑みにして丁度いいですが、

あくまでもそれは一面的な考え方です。

 

 

自我丸出しで生きている人が殆どなので、

その教えに賭けて徹底してみればいいです。

 

 

しかし、殆どの人は自我が強固なので、

結局は徹底できないケースが殆どなので、

道案内人氏の心配には及ばないと思います。

 

 

宇宙に全託するということは、

目隠しをしてハンドルを手放して、

絶対的な安心感で車を運転するようなもので、

よほどの信仰心がなければ無理でしょう。

 

 

神にも次元や定義があるので、

一概に「神とは何ぞや」とは言えませんが、

とりあえず人間界の自分にとっては、

ハイヤーセルフが「自分の神」なのです。

 

 

実際にハイヤーセルフと交信しなければ、

真に確信することはできません、というか、

信じていても観念的なものに過ぎません。

 

 

「信じる」という言葉自体が、

認識していないことを意味しています。

 

 

目の前にコップがあるとして、

コップの存在は信じる信じないではなく、

目に見えて分かっていることです。

 

 

神なる存在も全く同じことであり、

信じる信じないのレベルではなく、

知っているかどうかの話であって、

内観を深めれば必ず神に出会えます。

 

 

『日月神示』にも次のように示されています。

 

「鳴門の渦巻きを渡る時は舵を放して、
手放しで流れにまかせると渡れるのであるぞ。
舵をとると同じところをグルグルぢゃ。

舵を放せる人民少ないのう。
何でもかんでも舵をとって、

自分の思い通りに進めようとするから大変が起こるのぢゃ。

渦にまかせる時はまかせなければならんぞ。
鳴戸の仕組みの一面であるぞ。大切ごとぞ」

「これと一応信じたら任せ切れよ。
舵を放して鳴門の渦の中にまかせ切れよ。
任せ切ると開けてくるのぢゃ。

悟れたようでいて、

そなたが悟りきれんのは任せ切らんからぞ」

 

 

自殺行為の意味がお分かりでしょうか?

 

 

絶対に大丈夫だと確信して、

ビルの屋上から飛び降りるようなことが、

宇宙に任せるこということであり、

口先だけの人とは全く違うのです。

 

 

まぁ、僕もビルから飛び降りはしませんが、

半覚醒はそれくらいの覚悟が必要で、

実際にそのような生き方が要求されるのです。

 

 

ビルから飛び降りは比喩であって、

そのような生き方をするということで、

意識進化のターニング・ポイントの、

「勇気」とも話が一致します。

 

 

ビルから飛び降りることは、

怖くてできないことですが、

行為としては簡単なことで、

分かりやすく喩えて説明しているのです。

 

 

念の為に繰り返し言っておきますが、

「ビルから飛び降りても大丈夫だ」

という理解に基づいた確信を持って、

大船に乗った気持ちで安心立命で、

ありのままではなく「あるがまま」で、

「今ココ」を生きていればいいのです。

 

 

それは前述のとおり怠慢ではなくて、

あくまでも与えられた仕事・使命、

すなわち「神の御用」をしての話です。

 

 

「神に任せきると申しても、

それは自分で最善をつくして後のことぢゃ。

努力なしに任せるのは悪まかせぢゃ。

悪おまかせ多いのう」

(日月神示)

 

 

でも、これも少し説明不足で、

自分で最善を尽くすとか努力とか、

これも人間の概念とは違うのです。

 

 

最善を尽くすとか努力するとか、

殆どは人間の自我に基づくものであり、

なぜこんな説明をしないといけないのか。

 

 

誰でも分かるように説明すると、

 

①見通しの神を信じて流れに任せきり、

②閃き即実行で行動に移すこと。

 

 

閃きとは直感(インスピレーション)ですが、

天啓なので絶対に即座に従うことです。

 

 

エンライト太古の道案内人氏は、

直感についても警告していましたが、

僕も同じ事を何度か書いて来ました。

 

 

直感の多くは潜在意識からのもので、

多くの人の潜在意識は汚れているので、

直感を理性的に判断する必要があります。

 

 

それ故に僕が言っていることは、

潜在意識の浄化が前提なのですが、

自分の努力だけではキリがないので、

文明利器の使用を推奨しているのです。

 

 

その上で見通しの神を信頼しきって、

全託する覚悟を決めて流れに任せ、

確たる直感に従って動くということです。

 

 

詳しく話せば延々と続きますが、

とりあえずここまで説明すれば、

案内人さんも納得してくれると思います。

 

 

少し毒舌が入りますが、

人々の直感の多くは幽界が発信源で、

聖職者がもっともらしいことを言っていても、

結局は自然破壊や金儲けの話なのです。

 

 

くれぐれも言っておきますが、

経済を破壊して自然を再生するために、

僕が提唱する世界征服事業があるのです。

 

 

かなり話を巻き戻しますが、

何か嬉しいことがあると嬉しいとか、

何か楽しいことがあると楽しいというのは、

否定はしませんが基本的に自我の感覚です。

 

 

もちろん嬉しいことや楽しいことがあれば、

素直に喜んで魂を躍動させれば良いですが、

この世には魂を堕落させる喜びも多いので、

とにかく感情の原因の観念を突き止めて、

良い意味でジャッジをすることも必要です。

 

 

アセンション(肉体を残さず死ぬこと)にしても、

アセンションせずに普通に死ぬにしても、

生き甲斐があれば「死に甲斐」もあるもので、

死に甲斐に向かって生き甲斐を感じていて、

その生き甲斐と死に甲斐は同一性のものです。

 

 

あくまでも感覚的なものですが、

生死は円環状に繋がったものであり、

スパイラル状に進化していくイメージで、

それが「生死解決」の究極だと思います。

 

 

生死解決とは「一元帰一」の意味ですが、

魂の半覚醒と同時に訪れる認識と感覚で、

最近流行りの非二元とは少し違います。

 

 

僕は半覚醒して生死解決もしていますが、

まだ完璧ではないので生への執着もあり、

実際のところ死ぬのは嫌だと思います笑い泣き

 

 

死後の世界は知っているし、

5次元の世界の歓喜も知っているし、

その世界に移行することは楽しみですが、

「まだ夢を見ていたい」という気持ちと、

「まだまだやることがある」という気持ちで、

心の準備が全然できていないからです。

 

 

だからまだ釈迦やイエスのレベルではなく、

凡さんの言うとおり凡人といえば凡人ですが、

かろうじて輪廻の世界からは解脱しましたが、

仏陀氏曰く僕はもう一度輪廻するそうですゲロー

 

 

それは修行の為ではなく使命らしいですが、

いわゆる「全体的再生」は断じて嫌なので、

分霊を転生させてハイヤーセルフになりますグラサン

 

 

釈迦も輪廻を解脱していますが、

バシャールによると釈迦の分霊の5体が、

現在の地球上に転生しているそうです。

 

 

それは人類救済のためらしいですが、

社会的に何か活動するとは限らず、

不食と瞑想をするだけでも世界の浄化と、

人類の意識レベルの向上になります。

 

 

多分、この男が釈迦の生まれ変わりの1人です。

 

究極的な話をすれば輪廻転生も幻想で、

それは半覚醒前から感じていたことですが、

オコツト情報でも同じような話がありました。

 

 

でもまぁ、一応は現象としてはあるので、

「輪廻はない」という話はする必要はなく、

この世に生きている限りは因果律を重視し、

輪廻も存在すると考えた方がいいでしょう。

(一般的な人々にとってはの話です)

 

 

そういえばバシャールも、

輪廻の話をしている一方で、

「輪廻はない」とも言っていました。

 

 

かつて僕のメンターの1人だった天外氏は、

「輪廻は概念の問題だから、

あるといえばあるし、ないといえばない」

と言っていましたが、

今の僕もそんな感じで捉えています。

 

 

まだまだ説明が足りないと思いますが、

キリがないのでこの辺にしておきます。

 

 

少し真面目な話が続いてしまったので、

次回は読者諸氏が待ちわびている、

エログロスピリチュアルの記事ですびっくり

 

 


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