前々回の記事で「明日死ぬとしたら」と書きましたが、
「今ココ」の生き方に反するという意見があったので、
前も書いたことがあるけど改めて説明しておきます。
スピリチュアル界の流行語の「今ココ」とは、
過去でも未来でもない「今」を説いている人が多く、
過去や未来のことを考えることはタブーの勢いで、
ひたすら「今ココ」を連呼している人が多いようです。
確かに3次元の世界の時間軸においては、
「今ココ」は今この瞬間のことを指していますが、
それは人間的な時間概念に基づいたものです。
5次元的な視点で本当の「今ココ」というものは、
過去も未来も「今ココ」に畳み込まれているもので、
過去は決して過ぎ去った時間ではなく、
未来も決して未だ来ぬ時間のことではありません。
過去を思い返して「過ぎ越し苦労」をしたり、
未来に「取り越し苦労」するのは最悪ですが、
過去を思い返したり未来を想像することは、
決し悪いことではなく必要なことでもあります。
過去は決して過ぎ去った時間ではなく、
未来は決して未だ来ぬ時間ではなく、
常に「今ココ」に集約されて同時に存在し、
今の意識が過去と未来を創造もしています。
分かりやすく一例を挙げると、
バシャールは未来からメッセージを送っています。
また、亜空間の中での話ですが3次元の世界で、
過去と現在が接触した事件が複数記録されていて、
5次元的な「今ココ」を裏づける材料になります。
僕自身はあくまでも感覚的なものなので、
自分の言葉で理論的に説明できませんが、
知識を集結すれば理論的に説明も可能です。
「人生はアニメである」という下書き記事の中で、
理論的に解説していて近々載せる予定でしたが、
故障中のスマホの中に入っていて見れません^^;
さて、もっとマクロな視点で観れば、
過去世・現世・未来世も「今ココ」に存在し、
5次元的には時系列も関係なく存在します。
少し乱暴な言い方をすれば、
「過去=現在=未来」なのです。
しかし、3次元の世界(正確には4次元時空)では、
過去から未来へと流れる時間軸を体験しています。
で、説明が困難なのですが、
「今ココ」において死について考えることの、
一体何が悪いというのでしょうか……。
そもそも人間は「この世」と「あの世」に同時に生き、
特に睡眠中の意識は「あの世」に行っているのです。
死後の世界の方が「現実」に近い世界ですが、
この世に生きている限りはこの世も「現実」なので、
どちらかに偏ることなく生死を見つめることです。
過去を振り返ってはいけないというなら、
意識進化の基本である内観もできなくなります。
また、未来のことを考えてはいけないなら、
「未来内観」もしてはいけないことになります。
「アンチキリスト完全ファイル」では、
死生観に基づく未来内観を説いて来ましたが、
これは心の学校の内観コースの1つです。
宣伝文を紹介すると以下の通りです↓
~最高の人生、死から生を見、使命を見つける~
「本当の自分」を知らずに、将来に目標を立てると、
役割ではないことを頑張って苦しむ人生になります。
本当の目標は一番遠いところ、
死という未来から生を見ることで明確になります。
この世を去るとき「なんていい人生だったのだろう!」
そう心から思って死ぬことができる人生の最期とは。
あの世にはお金も土地も家族も肉体も持っていけません。
そのときに「本当の自分(真我)」と出逢います。
その時の心を、今、体感するのです。
そしてその心で毎日を生きていったときに、
あなたは使命に導かれ「最高の人生」を全うできるのです。
長らく更新が滞っていて未公開ですが、
僕の「ハイパーネオデジタル内観」にも、
この「未来内観」が組み込まれています。
その具体的なメソッドを知らなくても、
「明日、死ぬとしたら、今、何が一番大切か」
という問いが基本中の基本なので、
それだけを意識していれば良いと思います。
北斗の拳2でもケンシロウは、
修羅の国のカイオウとの闘いの時に、
「死は常に覚悟している」と言っていましたが、
それが救世主の生き様なのです(笑)
でも、僕はカイオウに憧れて生きてきました。
カイオウは心の傷を克服するために、
魂を悪に染めて生きてきた魔人ですが、
僕の半生もカイオウを模倣してきました。
神に縋れば苦しみは消えるのか、
悪に染まれば苦しみは消えるのか……
10歳~26歳までの16年間、
その両方の生き方を同時に進行してきて、
神と悪魔に支配されて生きてきましたが、
それはカバラ占いの通りでもありました^^;
神仙組で「新世紀創造理念」を掲げていますが、
カイオウの「新世紀創造主宣言」に因んでいて、
意味合いは正反対ですがそれが世界征服です。
誤解のないように説明しておくと、
ミロクの世(至福千年王国)の実現のことで、
世界天皇(再臨のキリスト)を中心とする、
世界平和の実現のことを言っています。
そしてカイオウは自ら溶岩に包まれて、
石像のようになって最期を迎えました。
生き方を真似て死に方も真似るのだろうか、
僕も富士山の火口で溶岩に包まれて、
立ったまま石像になって死にたいです
余命が少ない患者たちと接触の多い、
医師や看護師による本を読めば、
死生観は決して無視できないものがあり、
死を忌避して無視する生き方は、
生も死も軽視しているように思えてなりません。
一昨年、僕は啓示による「戸隠の御用」を終え、
それで現世での使命を終えたのかどうか……、
強制体外離脱で連れて逝かれそうになりました。
体外離脱と霊界探訪は無数に体験してきて、
死後は5次元に行けることも分かっていて、
肉体の生にも執着はなく死の恐怖も希薄で、
「今日死ぬとしたら」をいつも自問していても、
本当に今急に死ぬと思ったら焦りました
そのときの出来事も「今ココ」であり、
50年後に死ぬことも「今ココ」であり、
アセンションすることも「今ココ」なのです。