今日はかなり個人的な備忘録です。
興味がない方はスルーして構いませんからね
先日受講したインナーチャイルドヒーリング講座の前に、
カウンセリングシートを提出していたのですが、
それを読んだ mariさんに
「お父さんの事が全く書かれてませんね~」と言われて、
そういえば、お父さんとの思い出で
あまり印象に残ってるものってないなぁと思い、
ちょっと思い出してみようと思いました。
私には、10歳上と8歳上の兄がいて
男の子のあと、それも8年経ってからの女の子だったから(おそらく予定外w)、
かなり甘やかされて育ったんじゃないかと思う
すごく甘えっ子でワガママ放題だった
という記憶は自分でもある
私は小さい頃からマザコンで
お母さんベッタリだったので、
お父さんとはむしろ、
お母さんを取り合うライバル
みたいな感じでいたんじゃないかな(笑)
子供から見ても、父母は仲が良かったからね
女子は、よく思春期になると
父親を拒否するようになるけど
私も、たぶん小5くらいから
父とはあまり関わることがなくなったような気がする
私が小6の冬に、父は
(何の病気で入院したのかは覚えてないんだけど)仙台の病院に入院していて、
あと一週間程したら退院できる、という時に、
その病院で、夜中に突然心臓発作を起こして亡くなった
まだ46歳という若さだった
そのときは、心臓が悪くて入院していたわけではなかったはずだけど
なぜ病院にいたのに助からなかったのか…
その辺の記憶は、あやふや……
覚えてるのは、朝方に祖母に起こされ
「お父ちゃん死んだどや!オラこれがらなじょしていぎでいったらいいべや
(訳:お父さん死んだって!私これからどうやって生きていったらいいの)」
と言う言葉と祖母の泣き顔
夜中に病院の方から父が危篤だと連絡が来て、
母が兄(当時22歳)の運転する車で仙台に向かっていたんだけど、
臨終には間に合わなかったんじゃないかな?
どうもこの辺りは断片的な記憶しかない
葬儀が終わったあと
少ししてからなのか、しばらくしてからなのかは覚えてないけど
どこかのイタコさんを家に呼んで
〈口寄せ〉をしてもらった
あまりに突然死んでしまったので、
亡くなった父と話がしたいと、
親戚一同が話し合って呼んだようだ
イタコさんは、昼の休憩を挟みながら
ほぼ一日喋っていたような気がする
私は既に難聴だったから、ただでさえ聞こえないのに、イタコさんの喋り方がモゴモゴしていて何言ってるのか全くわからなかった
叔父が泣きながら
「もっとハッキリ大きな声で話してくれ」
って言ってた
家族や兄弟、父の友人など、
その場にいた一人一人にメッセージをくれていたので
口寄せが終わってから周りの大人達に
「私の事はなんて言ってたの?」
と聞いたら
「ちゃんと勉強していい子にするように」
って教えられたんだったかな?
↑これもうろ覚え
それを聞いて、私は
「え?たったそれだけ?」と
ショックを受けたのは覚えている
お父さんにとって、私は
そんなたった一言で済む程度の存在だったんだ
と思ったような気がする
末娘ということで
確かに可愛がられていたはずなのに
あれから44年経って私の記憶の中では
父の存在自体が無くなっているような感覚がある
だから、カウンセリングシートでも
お父さんの事は出てこなかったのな
母にしてみれば最愛の夫に突然死なれたのだから、
悲しみはかなり深いと思うので
そんな母に、
父はなんの病気で入院していたのかとか、当時の細かい事はいまだに聞けずにいる
つい数年前に父の妹の叔母達から
父は心臓発作で亡くなったというのを
初めて聞いたほど
父が亡くなった時の話は
私の中ではタブーとなっていたのかもしれない
そして、
母から父の思い出話を聞いたのも数年前だった
父は、幼い頃の私とよくテレビのチャンネル争いをしていたらしく、
私を背中におんぶして庭を歩きながら
「○○買ってやっから水戸黄門見せろな~」と言って聞かせていたとか(笑)
記憶にはないけど、目には浮かぶね
父は、厳しかったとか怖かったとか
そんな記憶は一切なく
ひょうきんで人を楽しませるのが好きな人だったと思う
今思うと
「父の話をしたら、大好きな母が悲しむ」と思って
父のことは私の中でずっと封印していたのかもしれない
あ!そういえば!
小学校低学年の頃だったか、
いつも私の事をいじめていた近所の悪ガキを叱ってくれたんだっけ!
それからその悪ガキにいじめられることがなかったから
やっぱり、おとうちゃんのおかげじゃん
なにしろ、50年前とかあまりに昔過ぎて
なかなか記憶が甦らないけど、
こうして少しずつでも思い出していけたらいいな
最後まで読んでくれてありがとね
天使のひかり☆よーこ