目時物語 ① 新聞配達少女 で、新聞屋さんから

毎日小学生新聞をもらっていたという話を書いたが、

これはその後の話である。

 

私は、その毎日小学生新聞の、文通コーナーに投稿

し、文通を始めた。

自分の住所、氏名を全国に公表し、「手紙ください。

」とお願いするのだから、現代では考えられない

昭和の話である。

 

北は、北海道、南は、福岡から、手紙が届いた。

全部で、20人以上。

私は、その全員と文通を始めた。

そのうち、お互いの気が合う、合わないが出てきて、

自然と相手は絞られていった。

みんな、いろいろ工夫してくれて、かわいい

イラスト(すごく上手かった)と、文章を入れた

ミニブックを作ってくれた人もいた。

私は、お礼に学校の見取り図を描いて送った。

なんでじゃ~?!

 

修学旅行の時、上野動物園で会ってくれた人もいた。

また、三戸まで、会いに来てくれた人もいた。

 

そのうち、気持ちは海外まで飛び、外国人とも、

文通を始めた。

チュニジア、インド、マレーシア、ドイツ他、

いろいろ。結果的に、英語を母国語としている人達

とは、長く続かなかった。

辞書片手に、文章を書いているような英語では、

つまらなかったのだろう。

ドイツの人と文通していた頃、ベルリンの壁が崩壊

し、歴史的な一部に、個人的な思いがあったことが

忘れられない。

 

半世紀たった今でも、文通を続けている友達がいて

とても、嬉しいことである。

文通は、お互いが続けていく意思がないと続いて

いかないものだと思う。

しかし、手紙を書くということは楽しいもので、

手紙をもらうことも、また特別にうれしいものである。