山田 勇男 その2 | 演劇実験室◎天井桟敷の人々

演劇実験室◎天井桟敷の人々

寺山修司が率いた演劇実験室◎天井桟敷、そこにどんな人々が集い、その後の人生に「体験としての天井桟敷」がどのように投影されていったのかとても興味があります。
退団後の1000余の生き様、それもまた寺山が仕掛けた壮大な劇なのかもしれません。






残り僅かなのに、3ヶ月近くお休みしてしまいました

気を取り直して完遂したいと思います


管理人



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山田 勇男
その2



山田のHP「ヤマヴィカスコープ座」
に多くのことが記載されていますので、
彼の足跡、作品、近況につきましては
そちらを参照していただきたいと思います。
内容、ビジュアル共に、素晴らしいサイトに
なっています。


ここでは何故彼が天井桟敷の門を叩いたのか、
そして、どのように天井桟敷と寺山修司とかかわったのか、
そして、その体験が彼の作品にどのように投影されたのか
想像しながら書き進めたいと思います。


    1952年、北海道夕張郡長沼町で生を受けた山田は
1974年、札幌の北海道綜合美術専門学校(現北海道芸術デザイン専門学校)を
卒業し、その足で、演劇実験室天井桟敷の門を叩きます。

なぜ20歳の山田は、天井桟敷を、寺山を選んだのでしょうか?
状況劇場でなく、黒テントでなく・・・。

それは多くの天井桟敷の人々にも共通する“謎”でもあります。

演劇、しかもアングラ演劇など一度も観たことがないであろう多くの若者が
当時の“時代の寵児”にして“アングラのトップランナー”であり
“稀有なマルチ・アーチスト”、現代風に言うなら
“サブカル神”とも言える寺山の表現に関わりたくて、
書を捨て、東京行きの夜汽車に乗ったのかもしれないと
思っています。

寺山が個人のプロダクションを軸に活動していたとしたら
そこへ押し掛けて「見習いにしてほしい」
「内弟子にしてください」と頼み込むことは難しかったに違いありません。
天井桟敷と言う劇団があり、外部に開かれていてスタッフ・キャストを
公募していたことが受け皿となって、天井桟敷の人々が
増殖したのでしょう。

その集団は、寺山を含めて演劇経験者が少ないために、
自己流転じて、他のアングラ劇団よりも表現の自由度が高かった。
そして、それが独自のカラーとなって異彩を放ったのでしょう。

山田が美術学校で何を専攻していたかはわかりません。
その後の作品の傾向から読み解くと、当時、サブカルチャーの総本山といわれた
「月刊漫画ガロ」の熱心な読者であったことは容易に想像がつきます。

イメージ 1


※ガロを出版していた青林堂については説明が必要かと思います。
かつての青林堂のサブカル魂を継承しているのは退社組が興した青林工藝舎。
 現在、法人として継続している青林堂は主に右寄りの本を出版する出版社です。

この「ガロ」に作品を掲載していた漫画家の多くと寺山は接点がありました。

吉田光彦   寺山原作の「誰か故郷を想はざる」「便所のマリア」
をコミカライズ。

林静一   おとなの紙芝居「便所のマリア」の絵、
その他寺山の本の表紙絵を数冊担当。

花輪和一   映画「田園に死す」のイメージポスター。

山田だけではないと思われますが、「ガロ」 的な世界と
天井桟敷の世界に共通点を見出した若者は
少なくないのではないでしょうか?
(山田は2003年に劇場用映画「蒸発旅日記」(つげ義春原作)を監督しています)

山田は、「盲人書簡・上海編」に参加し、その後、間もなく
生活資金が尽きて帰郷したとのことです。

演劇青年の多くは稽古に追われてアルバイトもままならず、
公演のチケットノルマや劇団費に追われて困窮を強いられるといいます。
何の知識もなく演劇の世界に飛び込んだ若者達が直面した苦労は
想像を絶するものだったことでしょう

山田は、その後、乞われて「田園に死す」のスタッフに加わります。
そこでの映画製作原体験が映画監督山田勇男の起点になったのでしょうか。

寺山はその後もことあるごとに札幌から山田を呼び出し
映画製作に参加させ、小さな仕事を紹介したようです。

寺山の映画はスタッフ・キャストが天井桟敷のメンバーと
重複することが多いのですが、山田は「盲人書簡」以外の演劇には
関与していないので実質の在団期間は僅かです。
しかし、寺山の遺作「さらば箱舟」(1984)まで交流は続きました。

外部にいながら寺山を支えた存在は後にも先にも山田以外に知りません。

札幌での山田は漫画家湊谷夢吉らと「銀河画報社映画倶楽部」を結成。
稲垣足穂の「一千一秒物語」をモチーフにした8mm映画「スバルの夜」
で注目を集め、その後映画製作に没頭。
数々の名作を世に送り出します。

膨大な作品群がありながらyoutubeで見ることはできません。
上映会情報を検索してご覧ください。

失礼ながら、管理人自身も観ておりません。

寺山の影響について記述された記事も見つけられませんでしたので
観る機会があった人だけの愉しみということで・・・

詳細は
山田のHP「ヤマヴィカスコープ座」

をご参照ください

劇場用映画の最新作は2014年製作の

「シュトルム・ウント・ドランクッ」



さらなるご活躍を期待しております。