山田 勇男 その1 | 演劇実験室◎天井桟敷の人々

演劇実験室◎天井桟敷の人々

寺山修司が率いた演劇実験室◎天井桟敷、そこにどんな人々が集い、その後の人生に「体験としての天井桟敷」がどのように投影されていったのかとても興味があります。
退団後の1000余の生き様、それもまた寺山が仕掛けた壮大な劇なのかもしれません。

  

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山田 勇男


 
山田は「盲人書簡◎上海篇」で工作を担当した8人の中に名前があります。
その他に下記の寺山の映画に参加しています。

 
    田園に死す(1974)疑景工作
    ボクサー(1977美術協力
草迷宮(1979)美術
    さらば箱舟(1984)衣装デザイン
 
山田は1974年に入団し、その年の「盲人書簡◎上海篇」に参加していますが、それ以降は天井桟敷の演劇に参加することはなく、
寺山の映画だけに関っています。
(挿絵など、寺山個人の仕事にも参加しています)

このように天井桟敷とは距離を置きながらも寺山修司と交流を続け、
時と場合によっては寺山の創作に関わった
山田のような存在は珍しいのではないでしょうか。
 
寺山は才能を見抜く才能があるのだと思います。後に映画監督として開花する山田の才能を早くから察知してたのかもしれません。
 
このブログでは在団期間や関与した舞台の数にこだわりはもたずに
「天井桟敷の人々」を紹介してきました。
ビッグネームで情報の多い人よりも、ほんの一瞬だけ劇団を通過した人の
天井桟敷体験がその後の人生にどのような影響を与えたのか、
私にはとても興味深く思えたのです。
もしかして、寺山の劇が「人々」の胸の中で、脳裏の隅で、
今も上演され続けているのではと思うこともあります。

だとすれば、山田の中ではどのような劇が上演されているのか
とても興味深いところですが、
ほとんどの人はその劇の存在すら気づいていないのかもしれません。
 
私は、山田についての知識はほとんどありませんでしたが、
調べるほどにその仕事の量と質に驚きを禁じえませんでした。
8mmフィルムを中心に100本以上の映像作品を製作、
初の長編劇映画、『アンモナイトのささやきを聞いた』(1992)は
カンヌ国際映画祭批評家週間招待作品となっています。
海外の美術館・大学に収蔵された作品も多く、
国際的な映像作家として活躍する一方で、絵筆を振い、
個展も多く開催しています。

 
連続して掲載しますが、今回は山田の現在の写真と、
山田が監督した2014年公開の長編劇映画
「シュトルム・ウント・ドランクッ」の予告編を貼っておきます。

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シュトルム・ウント・ドランクッHPから 






シュトルム・ウント・ドランクッ予告編