(『人間革命』第11巻より編集)
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〈大阪〉 8
(つづき)
しかし、日蓮大聖人は、権力と真っ向から対決された。民衆の幸福を実現しようとする教えと、民衆を隷属させようとする権力とは、原理的に相容れざるものであるからだ。
権力者から見れば、権力に屈せぬ宗教の流布は、権力の支配する王国のなかに、その力の及ばぬ別の精神世界をつくるに等しい。
これほど危険な存在はない。それだけに、怨念と嫉妬から憎悪をむき出しにし、排除にかかる。
経文で説く「猶多怨嫉(ゆたおんしつ)」である。
そこに、広宣流布の道程は、権力と熾烈な攻防戦とならざるを得ない理由もある。
しかし、大聖人は、時の権力など、決して恐れなかったし、屈しなかった。
「わずかの小島の主らが脅さんを、怖がっては、閻魔王の責めをどうして免れようか」と、悠然と言い放たれている。
日本の宗教界は、ことごとく、今日に至るまでに、権力の掌中に落ちたといってよい。
ことに江戸時代に徳川幕府によって檀家制度が施行されるにいたり、寺院は、幕府の行政機関の一機関として、「戸籍係」の役割を担わされ、完全に権力のもとに組み込まれていった。
そして、聖職者自らが、政治権力の意向を借りて、意のままに信徒を操る権力となっていったのである。
権力に依存した宗教は、当然、民衆のために現実社会を改革し、創造していく力とはなり得ない。
心の慰めか、現実を逃避し、来世の安穏を願うだけの「死せる宗教」と化した。
こうして培われた宗教の、保守、保身の体質は、明治以降も変わらなかった。