戸田と伸一の間であっという間に決まった、あの「山口闘争」 | くにゆきのブログ

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今、自分が感動したこと、また知っていただきたいことを、主に記していこうと思います。

     (『人間革命』第11巻より編集)

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         〈転機〉 7

 

 はい、やらせていただきます。まず全国の支部のなかで、山口県に縁のある人たちに応援してもらいましょう。さっそく企画します」

 

 戸田と伸一の会話からは、たちまち、このような何ものかが生まれるのである。

 

 やるからには、思い切ってやってもらいたい。理事室には、私から話しておこう。何しろ山口県は、明治維新の揺籃の地だよ。

 

 広宣流布の人材も、今は、まだ影をひそめているにちがいない。

 

 では、決定としよう。企画は、じっくり立てなさい。今月いっぱいかけて、準備は万全を期して、来月出陣となればよいだろう」

 

 後に、「山口闘争」「山口開拓指導」として語り伝えられることになる大いなる戦いも、こうして、あっという間に二人の間で決定を見たのであった。

 

 ・・・。

 

 各支部の折伏によって、各地域に生まれた学会員たちである。

 

 これらの都市の中で、最も会員世帯の多いのは下関市で、百世帯ほどであったが、それが、八支部にまたがっているのである。

 

 地域にあって、横の連絡はほとんどなかった。

 

 各支部は、山本伸一の指揮する山口闘争と聞いて、山口県に縁故者のある人から一級闘士を選抜し、十月初旬、県内各地に派遣した。

 

 約二週間という、かなり長期の派遣である。

 

 家庭を留守にする主婦、家業を一時、従業員に任せての自営業者、休暇を取った会社員と、派遣にいたるまでには、それぞれの戦いがあった