この権力の魔性という怪物は、信心の利剣でしか打ち破れないんだ | くにゆきのブログ

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今、自分が感動したこと、また知っていただきたいことを、主に記していこうと思います。

     (『人間革命』第10巻より編集)

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         〈展望〉 13

 

 (つづき)

 伸ちゃん、現実は修羅場であり、戦場だな。社会の泥沼には、権力闘争が渦巻いている。

 

 そのなかで妙法の政治家を育てていくんだから、相当の覚悟が必要だ。まず、権力の魔性と対決することになる」

 

 「確かに、その通りです。オーストリアの作家シュテファン・ツヴァイクが、『権力にはメドゥーザの眼光がある』と書いている通りですね」

 

 伸一の語った”メドゥーザの眼光”というのは、ギリシャ神話に出てくる物語で、メドゥーザという女神の顔を見た者は、目を外すことができず、石と化してしまう話である

 

 権力の魔性に遭って、将来ある妙法の政治家が、石と化してはかなわない。

 

 戸田は、つぶやくように言った。

 

 「この権力魔性という怪物は、信心の利剣でしか打ち破れないんだ。それは、権力を生み出す社会の仕組みもさることながら、深く人間の生命の魔性に発しているからだ

 

 

 この見えざる『魔』に勝つものは、『仏』しかないからだよ」

 

 部屋には誰も入って来なかった。

 

 師と弟子だけの率直な真摯な対話は、二時間余りにも続いていた。

 

 戸田は、急に視点を変えて話し出した。

 

 仮に、今の自民党にしろ、社会党にしろ、仏法の生命尊厳と慈悲の哲理に基づくならば、民衆の願う、真の平和な、幸福な世界の実現に寄与し得るだろう。

 

 それも一つの姿であるかもしれないが、まず難しいだろう。

 

 また、今、日本の現状を思うと、政治家だけを、どうこうしようとしても、どうにもならない。

 

 新しい民衆の基盤から、新しい民衆の代表である政治家を誕生させることが、今ほど望まれている時代はないだろう。

(つづく)