(『人間革命』第10巻より編集)
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〈跳躍〉 18
清原かつは、悲憤慷慨のうちに、『東京の幹部よ、折伏の第一線に立て!」と叫んで終わった。
このあとを受けて登壇した別の幹部もまた、東京の幹部の批判から始めなければならなかった。
「ただ今、清原指導部長から話がありました通り、四月の東京の状態というものは、今までの惰性のままで、精神的に何か乱れがあります。
これから五月の東京は、弘教活動の妨げになる行事や、その他の行動は、一切やめてもらいたいと思います。
具体的に申し上げると、水曜日だけが、居住地域で活動するブロックの日となっていますが、この日の結集をよくするために、
月曜から金曜まで毎日報告を取り、報告書類作成にばかり気を取られています。これでは戦いは進みません。
ブロックは水曜だけにして、煩わしい雑務は一切整理し、座談会一本鎗の五月の活動にしたいと思います。
やれ組長会だ、・・・、明日はなんの会だというのは、一切やめて、会合は最小限とし、常に座談会を中心とし、連絡も打ち合わせも、座談会が終わって、その場でやれば十分です。
・・・ともかく、五月は座談会を立派にやり通す精神でやりましょう。そして、全東京の座談会が、活気みなぎる仲の良い座談会となり・・・」
四月を終わって、当時の、大阪と東京の活動形態の相違が、折伏の数字となって歴然と現れてみると、学会本部をはじめとする東京の幹部は、愕然とした。
登壇した幹部たちの叱咤激励も、具体的な提案も、深い反省に立った発言であったが、それは、関西の活動を表面的に見て、分析したにすぎなかった。
東京の首脳幹部たちは、関西をここまで育てるために、はるか以前から、一念に億劫の辛労を尽くした山本伸一の苦悩は知らなかった。
彼らは、億劫の辛労からは、全く無縁であったのである。